『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

なかなか神様に振り向いてもらえない人

おはようございます。

 

 

 

私は大学に入学して以降、今日に至るまで、神社の神主として生きてきました。

 

それと同様に、学校を卒業したから、例えば

 

ずっと、美容師、大工、SE、ウエイター、保育士・・・と

 

それぞれの道で、プロとして生きてこられた方がいると思います。

 

 

上記の中で言えば、美容師さんであれば、人の髪を切ることがメインの仕事内容になると思います。

 

しかし、仕事とはそれだけではありません。

 

お客さんの迎え方から始まって、道具の選び方、立ち位置、これはやってはいけない事などの禁止事項など

 

髪を切ることが中心ですが、それの周りには色々な、決まりや約束事などがあると思います。

 

ですから、美容師という資格があるわけです。

 

神主である、私がハサミを持って、美容師さんが髪を切っている所を、もう何年も見てきているので、人の髪を切れますよ。

 

と言っても、人は全然信用してくれませんし、万が一綺麗に切れたとしても、それは決して美容師としてやったのではなく、

 

ただ見よう見まねで、素人が髪を切ったにすぎません。

 

そして、切った髪が服についていたり、知らない間に失礼な事をしてしまっているかも知れません。

 

つまり、その仕事にまつわるすべての事を知っていて、できる人に資格というのが与えられるということなのです。

 

 

神職も同じです。

 

この仕事も色々やることはありますが、一般の人が良く目にするのは、

 

「祝詞」を読んでいる所だと思います。

 

神様に願い事を直接届けたいという思いから、神社の賽銭箱の前で、祝詞を奏上している人をたまに見かけます。

 

しかし大変申し訳ありませんが、

 

十中八九、奏上の仕方を間違えておられます。

 

こういう人たちは、信仰心の篤い方たちばかりだと思いますが、

 

この行為が逆に神様に対して失礼をおかしてしまっている場合が多いのです。

 

これが、タイトルの通り、「なかなか神様に振り向いてもらえない人」なのです。

 

神様に対しても、人に対しても、正しい接し方というのがあります。

 

ましてや神様にお願い事があるのであれば、慎みの態度を体で表さなければいけません。

 

「立ち方」にだって、作法があるくらいです。(祭式という作法の教科で学ぶものの一つです)

 

さっきの美容師さんと同じく

 

ただハサミを使って見よう見まねで髪を切ると同じように、

 

紙に書いてある祝詞が読めるから、奏上しています。では神様に対して失礼になってしまうのです。

 

ですから、私は一般の方には、祝詞を読むことをおすすめしていません。

 

二拝二拍手一拝

 

これだけでいいと私は思っています。

 

しかし、どうしても神様に対して、直接祝詞を奏上したいとい方がいらしたら、

 

私はその方と直接会って、

 

お教えできる最低限のマナーのようなものをお伝えしようと思っています。

 

またその方が奏上するにふさわしい祝詞も作文いたします。

 

もし、ご興味があれば、ご連絡下さい。

 

神様から愛される(つまり自分をちゃんと愛せる)生き方をしたいものですね。

 

 

 

それでは、また。