おはようございます。
「祭り」と聞くと、神輿が出て、笛や太鼓を鳴らして、ワイワイするというのをイメージされると思います。
ただ、実際は「祭り」とは、それだけではありません。
社殿などで行われる神事も「祭り」と言いますし、「神葬祭」と言って、お葬式も「祭り」の一種なのです。
ただ今日のお話は、一番最初に書いたワイワイする方の「祭り」についてです。
私も神主ですが、お祭り大好きです。お神輿を担ぐのも好きですし、地元では山車に乗って太鼓を叩いていました。
それだけにとどまらず、高校や大学の時は、あっちこっちのお祭りに顔を出して、助っ人として神輿を担いでいたくらいです。
日本には本当に全国各地に様々なお祭りが継承されています。
神輿をぶつけあったり、山車を猛スピードでひっぱったり、夜通し踊ったり、何かを奪い合ったり、火の中水の中に飛び込んだり・・・・
とにかく、色んなお祭りがありますよね。
こんな便利な世の中になって、みんな現代っ子として生きているのに、
なぜかこの祭りの期間だけは、急に「純?日本人」になるのです。
しかも、普段は普通に学校や仕事をしていて、日本の歴史や伝統、宗教や信仰に対して、
特に深い興味や関心を抱いていないような人であっても、
祭は大好きです。という方が実に多いのです。
不思議だなぁ~と、こうした場面に接する度に思っていました。
が・・・
答えはすごくシンプルでした。
お神輿を担ぎながら、「この伝統を後世に伝えるんだ!」とか
山車を引っ張りながら「この信仰文化を大切にしたい!」とか
火の中に飛び込みながら「この神社への崇敬心を表現するんだ!」とか
そんなこと考えながら、お祭りをしている人は・・・恐らく全体の1%もいないと思います。
ではなぜ、みんなあんなに祭りに熱狂するのかというと・・・
「好き」だからです。
もう少し突っ込んた言い方をすれば、
「かっこいい」と思っているからです。
男性であれば、父や祖父、或いは地域の人、友人や知人が、祭りをやっている姿をみて、
「かっこいい」と思うから、本人もやっているだけのことなのです。
少し難しい言葉を使うと、「祭礼時における男性性」への憧れと言うことができます。
日本の祭りは、この「男性性」という要素・特徴を見出すことができます。
お祭りに参加している人を見て、恐らく誰も「かわいい」とか「美しい」とか「しなやか」とかは思わないはずです。
多くの人が、「かっこいい」、「男らしい」、「気合が入っている」、「力強い」と言った印象を抱くはずです。(時としてその対象が女性であっても)
日本人でお祭りが好きな人は、知らず知らずのうちに、この「男性性」に魅了されていますし、参加している側も、「男性性」を強調するのです。
ここで、ちょっとまた視点を変えてみてみたいと思います。
「存在するもの」・「それ」は、統合という特徴があります。
つまり、この「男性性」もその中に含まれています。
そして、私たち人間には、性別問わず、この「男性性」という要素を持っており、それが時として前面に出たり、引っ込んだりします。
祭りの時は、この「男性性」が前面に出ているということになるです。
私たちは「分離」という特徴を持った「物理宇宙」に住んでいますので、当然普段、つまり「日常」は「バラバラ」に生きています。
しかし、神社の祭りという「非日常」の時に限り、「バラバラな個」がもっている、統合の特性の一つである「男性性」を一斉に発露させることによって、
「存在するもの」・「それ」のこれもまた一つの特徴である、
「無境界」つまり「みんな一緒」という、感覚を一時的に味わっているのだと私は思っています。
そして、日本人はこの「無境界(みんな一緒)の感覚」をうまく利用しながら、発展してきた民族であると思っています。
その代表的なものが、米作りです。みんな一緒に同じことをする。全体のために奉仕する。それが正しい。
或いは、災害が起きた時も、自分1人が苦しいのではない、みんな同じように苦しいんだ。だから頑張ろう。
こうした「祭り」を通じて感じる「無境界の感覚」が、食物の生産や災害時でも、意識され、今日の繁栄があると考えています。
「統合」の特徴を上手に利用していると言えると思います。
しかし・・・・
みんな一緒であることが正しい、みんなと同じことをするのがよい。ということはそれに外れた人は、正しくない。となってしまいます。
これが我が国の最大の「足枷」である、「他人の足を引っ張る人」と「他人の目が気になる人」を量産する原因になっているのです。
またこの「無境界の特徴」は時として、究極的なまでに「個」を滅する方向へと進めることができます。
するとどうなるか。
飛行機や魚雷もろとも、敵艦に体当たりすることだって可能になるのです。
わずか70数年前、実際この国は、そうやって敵と戦ったのです。
はっきり言って、私たちの父祖と戦った相手であるアメリカを中心とする連合国は、
私たち日本人が、「統合」の「無境界の特徴」を意図的、ないし無意識的に操り、
超が付くほどに、その特徴を磨き上げることによって、とてつもない力を発揮することを知っていると思います。
そして、この「無境界の感覚」を引き出すのには、荒々しい「男性性」というカギを用います。
それが、より日本人の攻撃性を深化させることにつながっていると私は考えています。
戦後という時代は、この日本人の「統合」の「無境界の特徴」を、政治や思想面で、
少しでも出すと、また日本人は戦争をはじめてしまう!という信念を持って「監視」しているのが、いわゆる左翼リベラル。だと思っています。
しかし、「〇とハサミは使いよう」で、「統合」がもつあらゆる性質や特性だって、使いようです。
そもそも私たちは、この「無境界の特徴」を上手に使って国を富ませてきたわけですし、豊かな文化を育んてきたわけですから、
すべて否定することはやはりもったいない話なわけです。(こういうことを言うと右翼とレッテルを貼られるわけです)
一番大事なことは、先ずは私を含め多くの人たちが、この「存在するもの」・「それ」の「統合」という特徴をよく理解し、
そこから受ける恩恵をありがたく受け取って、より多くの人たちに分かつことだと考えています。
今日は祭りの話から思想の話まで、幅広かったです。
分かりにくいことがあったと思いますが、よければ何度かお読みいただけると幸いです。
それでは。