『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

本当の自由

おはようございます。

 

 

 

私たちは、たまたま人間として生まれ、今日に至っています。

 

よく私たちは、「自由」という言葉を使いますが、

 

この「自由」について、色々と考えをめぐらす時、

 

「本当の自由」とは一体何か。という疑問にぶち当たります。

 

誰からも束縛されない、お金に制限がない、一日中何もしないで好き放題やる・・・・

 

確かにこういうのも、自由であることに間違いなのですが、

 

こうした自由は、どこかに「この自由を失うかもしれない」というある種の恐怖が付帯した自由だと思いますので、

 

やはり「本当の自由」とは言えないと思っています。

 

私の思う「本当の自由」とは・・・・

 

「人間である事」

 

もう少し、掘り下げて言うと、

 

「人間らしくあることを選択できる事」

 

これが、「本当の自由」だと思っています。

 

 

人間もその辺を歩いている猫でも犬でも、同じ生き物です。

 

「刺激」に対して、必ず私たちは「反応」をするように出来ています。

 

例えば、犬であれば、前から敵だと認識した、別の犬がやってきた場合、

 

牙を剥き出して、ワンワン吠えます。

 

「敵」という刺激に対して、吠えるという「反応」を取ったのです。

 

 

小さな子供がおもちゃで遊んでいるとします。

 

すると別の子供がやってきてそのおもちゃを奪ったとします。

 

すると、取られた方の子供が、奪った子供の頭をポンと叩き喧嘩になりました。

 

「奪われた」という刺激に対して、「叩く」という反応を取ったのです。

 

 

 

このように、私たちは、刺激に対して反応をするように出来ています。

 

しかし・・・

 

犬の場合は、「吠える」という反応を「即座」にします。

 

しかもこの犬が死ぬまで、この反応の仕方は基本変わりません。

 

その犬の子も、その犬の子も、犬が犬である限り、ず~っと、同じように「敵」が現れれば「吠える」だけなのです。

 

ところが・・・

 

このおもちゃを奪われ、ポンと相手を叩いてしまった子供はやがて大きくなると、

 

色々な「選択」があることを覚えます。

 

相手の様子をみる・事情を聴く・譲る・諦めるなど。

 

つまり、何か「刺激」があったとしても、即座に「反応」するのではなく、

 

「一時停止ボタン」を押して、どうするかを「選んで」から、反応・行動に移す。

 

ということができるようになるのです。

 

会社で誰かに嫌なことを言われたとしても、すぐに「おいこら!!!」とは言わず、

 

一旦落ち着いて、「一時停止ボタン」を押して、なぜ相手はこんなことを言ったのだろう、機嫌が悪いのかな?自分なんかしたかな?

 

などと考え、その上で、抗議する・無視する・他の人に相談するなどの行動に移すことができるということです。

 

 

まさに、人間が人間らしくいきるために、

 

この「一時停止ボタン」を押して、その後の行動を「自分で選択することができる」ことこそ、

 

人間に与えられた、「本当の自由」だと言っていいのではないでしょうか?

 

だって、犬は「吠える」や「逃げる」くらいしか選択肢を持っていませんから。(犬に限りませんが)

 

 

 

私たちは、実は「本当の自由」というのは、既に備わっているものであり、

 

子供の頃は、それができなくても、家庭や社会の中で、だんだんとそれを学んでいるわけです。

 

ですので、常に私は自由なんだ。選べるのだ。と思って暮らすことが、

 

より「人間らしい」生き方ができると思います。

 

 

 

 

それではっ。