おはようございます。
日本人は学校で宗教や信仰について学ぶ機会がありませんので、
神社とお寺を混同される方が結構多いです。
〇〇大師ってお寺?神社?(正解はお寺)
〇〇大社って神社?お寺?(正解は神社)
みたいな会話を神社にいると結構耳にするものです。
日本には神社と並んで、お寺がたくさんあります。
神社は神道という信仰に基づいて、お寺は仏教という宗教に基づいた礼拝所になります。
皆さんご存知の通り、仏教というのはお釈迦様がお開きになった宗教です。
今から約2600年前にインドにいらした、ゴーダマシッタールダという方が、
人々を苦しみから救うために、苦しい修行を行い、とうとう悟りを得られて、
人々に真理を説かれたのです。
これがやがて仏教となり、世界各地に伝播していきました。
それが日本へと伝わってきたのです。
つまり、「仏教」は「外国の宗教」なのです。
結構多くの方が、日本発の宗教と勘違いされている方がいらっしゃいますが、
仏教は日本ではなく、インドが発祥の宗教です。
一方、神社の信仰の基である、神道は日本の信仰です。
もともと、我が国には、この神道しかありませんでした。
というより「神道」という名前すらなかったはずです。
私個人としては、「カミマツリ」とか「マツリ」とか言ってたのだろうと思っていますが、
正式な名前はありませんでした。
ところが、やがて日本に仏教は入ってくると、
それまでの自分たちの信仰が意識されるようになります。それがやがて「神道」と呼ばれるようになるのです。
それでは、タイトルの通り、なぜ日本で仏教がこんなに栄えているのかについてですが、
もちろん
仏教の教えが素晴らしいからです。
そして、僧侶たちの努力が実を結んでいるからです。
その他にも、江戸幕府の寺請制度や神道が死を避けたというのも理由の一つだと思います。
しかし、それに加えて、もう一つあると思っています。
それが
日本が「神道の国」だからです。
以前のブログでも記した通り、「神道の目」は、それぞれの中の良い面を見つけ出す目である。と言いました。
日本人はそれまでずっと祀ってきた日本古来の神様も良い、
でも今回新たに入ってきた外国の仏教も良い、
と判断したのです。
今、私たちはよく「仏」という言葉を使いますが、実は仏教が日本に入ってきた当初は別の言い方をしていました。
それが
「蕃神」(となりのくにのかみ)
「客神」(まろうどがみ)
です。つまり外国の神様、お客様の神様として迎え入れたのです。
日本には八百万の神々がいらっしゃいます。
「仏」は祀り方や作法は違うけど、その中の一つの尊い神と認識されたわけです。
まさにこれは日本人が神道の目を持っていたからこそ、仏教のすばらしさを決して見逃すことがなかった証だと思います。
現代の日本人は確かに宗教や信仰の勉強をすることはありません。
そのために、神社もお寺も一緒になってしまうのは無理もありません。
しかし、こういう人は、実は、神社だろうが、お寺だろうが、どっちも「ありがたいもの」という意識があるのかも知れません。
名前や詳しいことなんてどうでもいい。ただその空間にいくと心が洗われる。という感覚が備わっているからこそ、
神社とお寺をわざわざ区別せず、積極的にその違いを理解しようとする必要がないと思っているとも考えられます。
まさに頭で理解するのではなく、もう感覚として、それぞれの「ありがたさ」を察知できる能力が備わっている人・・・
つまり「神道の目」を持っている人。だということができると思います。
それでは。