『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

今に生きる(しかない)

こんにちは。

 

 

 

ドラえもんのタイムマシンに乗って、「過去」に行きました。

 

次の日は「未来」に行きました。

 

「過去」や「未来」のそれぞれの出来事を体験したのは「あなた」です。

 

あなたが行った「過去」や「未来」は本当に「過去」や「未来」ですか??

 

違います。

 

過去に行ったのは、今生きてるあなたです。

 

未来に行ったのも、今生きているあなたです。

 

仮に本当にタイムマシンに乗って、過去や未来に行けても、

 

実は体験している人間が生きている人間である限り、それは「今」でしかありません。

 

つまり、時間とは存在しないものなのです。

 

私たちは太陽の運行や地球の自転から、時間という概念を作りだし、

 

それを便利に使っています。

 

しかし今言った通り、私たちは過去にも、未来にも生きることができず、

 

生きれるのは、「今」しかありません。

 

思考というモノ事をあれこれ考える役目を持った存在が、過去や未来を行き来することで、

 

私たちは、時間というものがあることを信じてしまい、

 

そして何より「今」に生きることができなくなってしまうのです。

 

 

こういう話をすると、ではなぜ、人に限らず生あるものは必ず死を迎えるのか。

 

という疑問を持つ人がいます。

 

もちろん生あるものは死を迎えます。

 

しかしこれと「時間」は全然関係ありません。

 

そもそも人間は「今」にしか存在していないわけですから、

 

時間が経ったら死ぬ。というのはおかしいのです。

 

ではなぜ死ぬのでしょうか?

 

それは「有る」からです。

 

「今」まさに人間として「有なる存在」だから滅びるのです。

 

肉体という物理的なモノとして存在しいているということは、必ずそれを手放す時がやってきます。

 

これは人間の体に限らず、「有なる存在」はすべてそうなっているのです。

 

つまり、「有る事」と「滅びる事」はワンセットというわけです。

 

しかしここで注目して欲しいことは、五行上から下で「死」の文字を使っていません。

 

「滅びる」と表現しています。

 

肉体が滅びることを「死ぬ」と一般的に表現しますが、

 

実はこれは「死」ではありません。

 

繰り返しますが、「有る」から「滅んだ」のです。

 

私たちの「命」は実は一つです。

 

この物理宇宙の生きとし生けるものの「命」は一つなのです。

 

その大元が「存在するもの」・「それ」です。

 

この「ひとかけら」がそれぞれの体を動かす「命」になっています。

 

肉体が滅びれば、この「命」は「存在するもの」・「それ」の元へと帰っていきます。(実はこの表現は適当ではありませんが、ここではそうします)

 

その肉体を通じて「何を学んだか」というそれまでの経験を持ち帰るのです。

 

「存在するもの」・「それ」はその経験から、

 

自らが存在していることの喜びと愛のすばらしさを改めて実感をするのです。

 

「存在するもの」・「それ」は「統合」という特性を有しています。

 

この「統合」の特性を言葉を表現するのはとても大変なのですが、

 

例えば

 

ゼロであり、永遠である。

 

過去や未来や現在もなく、すべて同時である。

 

といった感じです。

 

ということは・・・・

 

生であり、死である、死であり、生である。

 

ということになります。

 

そして、この「存在するもの」・「それ」の「ひとかけら」が私たちそれぞれが一つもっている「命」ですから、

 

同じ「統合」という性質を有しているのです。

 

つまり、肉体は「有る」から「滅びる」

 

しかし、「命」が持つ「統合」の性質は、生と死、ゼロと永遠が同時に存在するものです。

 

ですから、実は私たちは生と死を永遠に繰り返している。ということができるのです。

 

これを「生まれ変わり」と表現する人がいるのだと思います。

 

 

いずれにせよ、私たちは「今」にしか存在することができません。

 

そしてこの肉体の「期限」は限られています。

 

過去や未来と言った【幻想】にとらわれることなく、

 

「今」に生きましょう。

 

繰り返します。私たちは「今」にしか生きられないのです。

 

 

 

 

それではまた。

 

※今に生きるから「今に生きる(しかない)」に改題しました。