『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

『らしさ』を失う part1

こんにちは。

 

今日は私たちの国、「日本」について考えてみたいと思います。

 

とりあえず、先に「すべての思い込み」や「学校で習った事」、「親や先生から学んだ知識」をいったん横に置いて下さい。

 

 

 

 

私たち人間は、何か「身の危険」が訪れた時、

 

様々な方法でこれを回避しようとします。

 

ボールが飛んでくれば、手で払い除けようとしますし、

 

台風が来るとわかれば、それなりの備えをします。

 

 

また「精神的」に危険な場面においても

 

私たちは色々な方法でその心のバランスを保とうとします。

 

家族からひどい扱いを受け「自分には価値がない」という誤った「思い込み」を抱いてしまったために、

 

酒や薬、買物やセックスなどに「依存」することによって、一時だけこの「思い込み」を忘れようとします。

 

これもやはり心がバランスを取っているということになります。

 

(ちなみに、これは『解放カウンセラー仁』さんの教えをそのまま私はお伝えしています。)

 

 

 

また、様々な理由から、

 

「ありのままの自分」では受け入れてもらえない(イジメられ続ける・身の危険が継続してしまう)ことから、

 

その「ありのままの自分」を否定し、「相手に好まれる自分」を演じようとする場合があります。

 

これもなんとか心のバランスを取って、身の危険を回避しようとする働きの一つなのです。

 

 

 

 

さぁ、これを踏まえて考えてみたいのですが・・・・

 

私たちの祖先は「明治維新」という偉業を成し遂げました。

 

西欧の文明を受け入れ、急ピッチで日本を近代国家へと成長させました。

 

 

 

 

 

「・・・・・なぜなんでしょう???」

 

 

 

 

 

神話の時代から考えれば、伊邪那岐・伊邪那美の昔から、

 

史実の面から言っても、約1500年前くらいの昔から、

 

現在「中国」と呼んでいる広大な地域から生じた、高度な文明を取り入れながら、

 

私たち日本人はこれらの「良い面」を採用しながら、日本のオリジナルな文化を育んできました。

 

ず~っとです。ず~っとそうしてきました。

 

ところが、江戸時代も末期になると、急に様子が変わってきます。

 

そうです、嘉永6年(1853)「黒船」が日本にやってきたのです。

 

よくここで、突然現れた黒船にびっくり仰天して、日本人は慌てふためいた。みたいなことが通説となっていますが、

 

私はまったくそうは思っていません。

 

長崎の「出島」を通じて、日本のサムライたちは、相当よく海外の研究をしていたはずです。

 

鎖国政策を取りながらも、積極的に海外の情報を収集していたと考えています。

 

そして特に注目したであろう出来事があります。

 

そう、1840年にムチャクチャな理由で始まった清国とイギリスが戦った「アヘン戦争」です。

 

中国という巨大な国は、周辺の国々と対等に付き合おうという考えを持った国ではありません(中華思想)

 

要は「上から目線」で周囲の国々と付き合ってきました。

 

そうした関係を取りながら、日本は中国の様々な文化を吸収していったのです。

 

ところが!

 

そんな「偉そうに」していた中国(当時は清国)が、

 

アヘンの薬物汚染によって国は乱れていきます。

 

そして、ついに指導者がアヘンの売買を禁止して、廃棄したら、

 

これを理由に戦争に発展して、結局イギリスは圧倒的な火力で清国を屈服させてしまったのです。

 

敗戦した清国は、次々に港を開き、領地を割譲し、不平等な条約を結ばざるを得なくなってしまいました。

 

強い、強いと思っていた清国が、あっけなく負け、領地まで奪われ、西欧人が我が物顔で中国の各所を闊歩している。

 

そんな情報は、日本へもそれほど時間をかけずに届いたはずです。

 

 

 

そうです

 

「身の危険」を感じたということです。

 

そして、とうとう「砲門」を開けた「黒船」が日本へやってきました。

 

その後、幕府の崩壊や戊辰戦争がありますが、

 

明治に入り、日本はあらゆる面において、従来のやり方・考え方などを一新し、

 

西洋を模範とした「近代国家」を目指したわけです。

 

 

 

ここで、もう一度この点に注目しましょう。

 

「身の危険を感じた」(アヘン戦争などの情報)

「ペリーが実際にきた」(身の危険を一層感じた)

「これまでのやり方(佐幕)か新しいやり方(倒幕)で国内が二分した」

「新しいやり方が勝った」(戊辰戦争)

「明治の時代に入った」(それまでのやり方を否定する時代への突入)

 

 

つまり

 

「ありのままの自分(ありのままの日本)」だと、中国(清)と同じよう(侵略)されてしまうから、

 

「相手に好まれる自分」(国の体制)になって(あるいは演じて)、その危険を回避しよう。

 

という人間の心の働きと同じであると私は考えいます。

 

国だって、人間の集まりですから、国や組織だから、特別な心の働きがあるというわけではないのです。

 

 

 

明治維新とは

 

西欧列強の拡大主義・帝国主義というこれらの脅威から

 

なんとかこの身(日本)を守るために取った、

 

行動であったと言えます。

 

そしてそのことによって、日本は本当に早いスピードで近代化が進められていきます。

 

西欧式の政治、軍隊、教育、医療、福祉、経済、産業・・・・・

 

様々な恩恵がもたらされました。

 

 

ということは・・・・

 

 

それによる「弊害」もあったわけです。

 

一つは「急ぎ過ぎた」ということ。

 

そして、

 

もう一つは、「『らしさ』を失った」ということです。

 

 

 

「ありのままの自分」が受け入れらないという「思い込み」があるために、

 

「ありのままの自分」を否定し、人は演じることによって、人に好かれようとする場合があります。

 

するとどうなるか・・・

 

自分の本音を無視し、人に合わせようとすることによって、様々ひずみが生じます。

 

心身に様々な不調が出てくるようになるのです。

 

本当の自分は自分『らしく』生きたいのです。

 

しかしそうだと、身に危険が及ぶ、そのためにその『らしさ』を隠します。

 

それによって、「そうではない、それは本当の自分ではない」という内なる叫びが起こり、

 

「生きづらく」なってしまうのです。

 

そして、自分や他人を傷付け、

 

最終的には「身の破滅」にまで及んでしまうのです。

 

 

 

次回は、この日本は明治維新後に失った、

 

『らしさ』

 

について、語ってみたいと思います。

 

 

今日はこれまで。