『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

『らしさ』を失う part2

おはようございます。

 

 

さて、日本を考えようの第二段になります。

 

日本は明治維新を迎えることによって、西洋をどんどん取り入れていきました。

 

その一番の理由は「相手に好かれる自分(日本)」になるためでもあったのです。

 

なぜなら、「ありのままの自分(日本)」では、物理的に国が侵略され、国が消滅してしまう危機が迫っていたからです。

 

 

「ありのままの自分」を否定し、演じることによって、人間の心身には様々な不調が出てきます。

 

それは人でも国でも同じことです。

 

自分『らしさ』を否定することよって、「本当の自分」が、その窮屈な状態に苦しみ出すのです。

 

そして、自他に対して攻撃的になり、最終的に自己の破滅を招来してしまいます。

 

それでは日本は明治維新という近代化を急いだことによって、どのような「日本『らしさ』」を失うことになったのでしょうか??

 

恐らく、あらゆる面においてそれは言えると思います。

 

しかし、その中で、私個人が、最も重要だと思われるものを2つ挙げたいと思います。

 

その2つが、「天皇」と「神道」です。

 

ここではっきり言いましょう。

 

日本という国は、「天皇」・「神道」・「国土」・「国民」

 

この4つが揃って「日本」と言います。

 

このどれかが欠けたら、それは「日本」とは言いません。別の「何か」になります。

 

学校でも家庭でも、全然教えてくれないことですが、これを「国体」と言います。

 

今回はその内の「天皇」と「神道」について、少し触れてみたいと思います。

 

 

 

天皇は明治維新以前、基本的にず~っと「文人的」でした。

 

直接軍隊を動かした神武天皇などもいらっしゃいますが、これらは大変稀です。

 

日本の天皇は主に祭祀や儀式を行い、和歌や文学などに通じる生き方をしてきた人です。

 

1000年以上そうした生活を、天皇は代々送ってきました。

 

ところが・・・

 

明治から昭和20年までの天皇ってどのようなご存在でしたか?

 

そうです「武人的」だったのです。

 

軍服をお召になって、サーベルを持ち、馬に乗って、練兵をご覧になり、「大元帥陛下」と呼ばれたのです。

 

1000年以上「文人的」だった立場が、急に力強い「武人的」な存在へと移行したわけです。

 

「日本」の要素の一つである「天皇」のあり方が、西洋の脅威によって、突如として変えざるを得なかった。というわけです。

 

これって、まさに『らしさ』を失った。

 

と言っていいと思いませんか?

 

そして、その後この『らしさ』を失うことによる弊害が現れるわけです。(後述します)

 

 

では「神道」はどうでしょうか??

 

日本が明治維新を迎えるにあたり、先ず初めにやったことが、「神道の国教化」です。

 

「大教宣布の詔」が発せられ、神道を布教しようとしたのです。

 

西洋のキリスト教を国教にしている国々の真似をしたわけです。

 

しかし・・・

 

神道の国教化はほんの数年で瓦解します。

 

全然広まらなかったのです。

 

答えは簡単です。

 

神道が「宗教」ではなかったからです。

 

「宗教的」な要素ももっていますが、神道はそのような限定的なものではありません。

 

これもここではっきりと言っておきます。

 

神道とは、日本人が持つ第六感の事です。

 

「視覚」「嗅覚」「味覚」「聴覚」「触覚」そして「神道覚」です。

 

しかし明治のお役人たちが、西欧化を急いだために、この神道を一つの宗教とみなしてしまったのです。

 

そして、その後「神道は宗教に非ず」とし、

 

「国家の宗旨」とし、「宗教」とは別の存在にしました。

 

しかし・・・

 

残念ながら、「国家の宗旨」と言っても、

 

結局は「神道の祭祀」・「神道の信仰」と言ったこれも極めて限定的な側面を取り上げただけでした。

 

「神道」はもっともっと広い、日本人の考えや行動に深く影響を及ぼすものです。

 

それを「祭祀」「信仰」と言った小さな箱に押し込んでしまったのです。

 

つまりやはりこれも近代化によって、神道がその『らしさ』を失うことになったのです。

 

 

 

「天皇」そして「神道」という、日本を構成する、4つのもののうち、2つを取り上げましたが、

 

これらが明治維新によって『らしさ』を失うことになりました。

 

それによる弊害が起こります。

 

それが自他を傷つけるということです。

 

それが「戦争」という「自傷・他傷行為」です。

 

そして

 

昭和20年8月15日の「敗戦」というわけです。

 

日本は西欧の真似をすることによって、近代化を成し遂げました。

 

しかしそれは、それまでの日本『らしさ』、そしてその中でも最も重要なものである「天皇」や「神道」にまで及んだのです。

 

それによって、「本当の日本」が苦しみ出し、結局自他を傷つけ、最終的に自己破壊(敗戦)へとつながったということです。

 

 

『らしさ』を失うというのは、このように本当に恐ろしいことなのです。

 

ですから、国であろうが、一個人であろうが、

 

『らしさ』は失ってはいけないということです。

 

もちろんその時々によって、周囲に合わせる事(これをマナーと言います)は必要です。

 

しかし、やはり私たちは、いつでも

 

「自分らしさとは一体なんなのか」

 

という問いをし続けるべきなのです。

 

そして、自分にとって最も「居心地のいい自分」という時間を確保するようしていこうじゃありませんか。

 

 

 

少し長くなってしまいましたが、今日はここまで。

 

それでは。