「愛」という言葉に代わるもの
おはようございます。
今日はちょっと難しいお話になると思います。
私たちは現在「物理宇宙(世界)」に住んでいます。
この世界の特徴はすべてのモノがバラバラであるということです。
私とあなたは違うし、木とパソコンも違うものです。
しかし私たちは元はすべて「一つ」でした。
この体を手放す時(みんなが「死」と呼んでいる時」)
私たちの「命」は「元の世界」へと帰っていきます。
※世界というと空間があることになりますが、空間ではないので、この言葉は本当は相応しくありませんが、便宜上使用しています。
私たちの住んでいる「物理宇宙(世界)」と「元の世界」とは実は相対するものではありません。
よく宗教的な場面で使用されるあの世とこの世みたいな感じでもありませんし、昼間と夜みたない感じでもありません。
説明が非常に難しいのですが、イメージを言葉で伝えるとすると・・・
『「元の世界」は「物理宇宙(世界)」を内包している』
という感じになります。
つまり「元の世界」が私たちの住むあらゆるものを作り上げているというわけです。
ではなぜ、そのようなことをしているのかという疑問が湧いてきます。
それは「自己を知りたい」という思い、願いがあるからです。
「世界が自己を知りたい?」とお思いになると思います。だから「世界」という言葉が適当ではないのです。
空間も時間もない、私であり、あなたであり、すべての情報であり知識であり・・・
こうした完全無欠な存在が「元の世界」なのです。
話を元に戻すと、私たちが住む「物理宇宙(世界)」は、すべてがバラバラであるために、自分を観察する方法がいくらでもあります。
例えば、鏡を覗いて顔を確認することができる。(鏡というものが自分と分離しているからこそできることです。)
他人に自分の特徴を聴くことができる。
自分と周りを比較することによって、自分を知る事ができる・・・などです。
しかし、「元の世界」はそれができません。
すべてが「統合」されているので、すべてのものが同時に存在し、すべての特徴を兼ね備えています。
つまり存在そのものが、完全完璧、最高至貴であることを自分が知っているのです。そして、その喜びで満たされいます。つまり「存在している事」を喜んでいる。ということです。
その「存在している事」の喜びをより理解し、それを味わうために、「元の世界」は「自分の中」に「物理宇宙(世界)」を作り出し、「自己を知る」という願いを果たそうとしたのです。
ですから
『「元の世界」は「物理宇宙(世界)」を内包している』
ということになるのです。
私たちはこの身体に「生きる」という願いを持った「命」が宿っているので、今こうして「物理宇宙(世界)」で生きています。
そしてこの「命」こそ、「元の世界」なのです。性質も特徴もすべて同じです。ただこの場合、「世界」という言葉が全く相応しく聞こえないので、「元の私」・「本当の私」と言い換えても良いでしょう。
つまり「元の私」・「本当の私」は、自分が完全完璧、最高至貴であることを知っています。
もう少し平たく言えば、私たちは本当は、自分が素晴らしい存在であることを、十分すぎる程理解しているということなのです。
ありがたい、ありがたい、と感じているからこそ、その願いである「生きる」という「願い」を引き寄せているのです。
※これは解放カウンセラー仁さんのお話を聞いて、最近気づいたことです。
従って、私たちはまず、何を置いても、一番最初に、
今「存在している」という、当たり前だと思っている奇跡に感謝し、それを喜ぶべきなのです。
そして、それは自分独りに言えることではありません。
目の前にいる愛する人、赤の他人、すべての生き物、そして憎くて嫌いな人であっても、やはり「存在している」という事を「認める」ことが大事だと思うのです。(憎くて嫌いな人に対してはホント難しいですけどね)
よく「条件付きの愛情」という言葉を、心理や心の病の勉強をしていると出てくることがあります。
・勉強ができたら親から褒められる。
・人よりうまくできたら親から褒められる。
みたいなヤツです。
それによって、罪悪感に支配されたり、感情の浮き沈みは激しくなったり、完璧主義者になるなどして人生が苦しくなったり・・・
いわゆる世に言う「アダルトチルドレン」という状態になると言われています。
もちろんこれで間違いないのだと思いますが、
「愛」という言葉に代わって、他に何かしっくりくる言葉はないかと色々考えた結果、やはり原点に戻って、
「存在を認める」
という言葉がよいでのはないかと思うのです。
・数学が苦手でも、あなたの存在を認めている。
・運動ができなくても、あなたの存在を認めている。
・人とコミュニケーションを取るのが苦手だけど、私は私の存在を認めている。
・今まで色々あったけど、私は私の存在を認めている。
つまり話が最初に戻って、
私たちは「分離」していても、「統合」していても、どちらにせよ、「存在している」というその事実が、何よりの喜びであることを知っているというわけになるのです。
「自分を愛することから始まる」
という言葉を聞く事があります。もちろん長年自分を責めて、自分が嫌いだという人にとって、この言葉をスッと理解するのは難しいと思います。
しかし、それとは別に「言葉のニュアンス」として、中にはピンと来ない人もいるかも知れません。「愛」という言葉はどこか「西欧的」だからです。
そのような場合
「自分の存在を認めることから始まる」
と言い換えることによって、何か気づきへの道筋が立つことがあるかも知れません。
今日はほんと難しいお話でしたが、とても大事なお話でした。
お読みいただきありがとうございます。
それではまた。