『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

正月がおめでたい理由

みなさま

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

とは言え、実はこのブログは令和元年の12月29日に書いております。

やはり神社は年始が忙しいのでゆっくりブログを書く時間が取れないため、

事前に記事を書いていることをありのままにお伝えしておきます。

 

 

さて、タイトルの通り、

なぜ正月は「おめでたい」のでしょうか?

考えたことはありますでしょうか?

私も大学に入るまで考えたこともありませんでした。

しかし神道系の大学に入って、お正月に神社でお手伝いをするようになり、

お正月とは日本人にとって、どんな意味があるのだろう・・・

と神明奉仕をする中で、深く考えるようになりました。

 

そこで、ふとある歌を思い出しました。

それが以下です。

 

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年の初めの 例とて

終なき世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに

祝う今日こそ 楽けれ

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これは『一月一日』という歌の一番です。

この歌の作詞は、みなさんご存知の島根の出雲大社の当時の宮司の千家尊福です。

恐らく誰でも知っている歌だと思いますが、

この歌には、正月がめでたい理由がはっきりと記されています。

私なりにこの歌詞を現代語訳してみますと・・・

 

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毎年恒例のことだけど

家の門に門松を立てて

終わりのない永遠の世の中を

お祝いする今日は 本当に楽しいことだ

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という感じになろうかと思います。

お正月というのは「終わりのない永遠の世の中」をお祝いする日であることが分かります。

「門松を立てる」という「行為」を今年も「無事」に行うことができた。

つまり今年も元気に正月を迎えることができたという喜び・・・

それに加え

「門松を立てる」という「行為」は、子、孫、その子・・・

と代々受け継がれる伝統の行事です。

確かに人間一人の一生には限りがあります。

しかし、正月行事は受け継がれていくものです。

ここにこの歌の作者は、「永遠」を感じ、それを「めでたい」と表現したわけです。

 

「だからお正月はめだたいのかぁ。」

と、正月の神社の手伝いをはじめてした時に思ったことを、この時期になると思い出します。

 

そしてさらに今この歌の歌詞をさらに深堀すれば、

やはり、今年も「無事」に正月を迎えることができた。

つまり、今も「存在している」という喜びを体いっぱいで感じ、それを喜び、互いを称えよう。

ということだと思います。

「無事」というのは「何もない」ということです。

これまでが、「良かろうが」「悪かろうが」

とにかく「無事」に「存在している事」が何よりも素晴らしいことだということです。

 

このブログをお読みいただいている方もそうでない方も、

今日も確かに生きている。

それぞれ、いろいろあるけど生きている。

まずはそれをお祝いしようじゃありませんか。

その上で、より豊かな人生を目指していきましょう。

 

 

令和2年はどんな年になるのでしょう?

心の底から

「その人がその人らしく生きられる日本」であることを祈っています。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

改めて

みなさん、明けましておめでとうございます。