『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「創作された伝統」

ご訪問ありがとうございます。

 

おはようございます。

正月の慌ただしさもひとまず落ち着いた感じがします。

みなさん風邪などひかないようにご注意下さいね。

 

 

 

さて

私は普段から全然ニュースなるものを見る事がないのですが、

それでも宗教や信仰と直接関係するニュースは目に留まります。

 

実はこれは私の個人的な感覚なのですが、

正月が近くなったり、正月の最中のニュース記事の中に

神社でのマナーや初詣、神道などに関する記事が結構あります。

それはそれでいいのですが、実はここ数年こうした記事の中に、

 

「みんなが伝統だと思っている日本の行事は実は最近創作されたものが多い」

 

という趣旨のものをチラホラ確認することができます。

「創作された伝統」なんて言葉も出てきます。

何か特定の記者や新聞社とかではなく、全体を眺めていくと、こういう記事を確認することができるということですので、ここで個別具体的にこの記事、という風に取り上げることは差し控えます。

 

こうした記事を読んでいくと、

日本の行事は「創作された伝統」であって、ありがたがるのはおかしい。と言わずとも、暗にそう言っているように聞こえる内容であることがあります。

 

さぁここにどういった人間の心が隠れているのでしょう。

それは

「批判の中に、その人の要望が投影されている」

ということです。

 

「伝統」というものに対して、強い執着を持っているからこそ、まず相手のその部分(と思われる場所)に注目します。

そしてそれが「長い歴史に裏打ちされた伝統」であるから「ありがたい」と思っているからこそ、実際は本人が思っている程古いものではない知って(判断して)「ありがたくない」と感じる。

そしてそれを「ありがたそう」にしている多くの人たちを見て、事実を知らない劣った人間だと錯覚し、声高に主張する。

 

これがこうした記事から読み取れる人間の心です。

 

なが~い日本の歴史をたどっていけば、

正月の日本人の過ごし方なんて、その時代時代で変化するのが当たり前です。

 

ただ、ここからがとても大切なことなのですが、

例えばよく言われるのが、初詣という行事です。

関東で言えば、成田山や川崎大師などの初詣参拝は、鉄道の発達に伴い、寺と鉄道会社がタックを組んで、参拝者と利用者をお互い増加させようという試みから始まった。と言われています。

正確に両者が何時、どのような形でこうした試みを始めたのかは、資料を当たらないと分かりませんが、私は恐らくそうだと思っています。

直接的か間接的かはわかりませんが、主に都心に住む人たちにとっての正月の一つの楽しみの一つとして、こうした提案がなされたと思っています。

こうした「表面」を取り上げて、「伝統的ではない」「創作された伝統」だと感じるのでしょうが、

とても大切なことを見逃しています。

それは・・・

「誰も文句を言わない」

ということです。

 

誰もそれを変だと思わず、その提案を受け入れ、自分のモノへと取り込んでいったのです。

それがどれだけ「尊い」ことはわかりますか?

強制されたわけでなく、誰かに騙されたわけでもなく、仕込んだわけでもなく、

ただ、日本人に正月の過ごし方の一つを提案したら、多くの人がこれを喜んで受け入れ、仏様のご加護を感じ、清々しい正月を過ごすことができるのです。

 

さらにもう一つ加えれば、鉄道会社が寺という宗教施設を「チョイス」したという面も忘れてはいけません。

お正月に寺や神社という宗教施設を選んだことも「尊い」のです。

別に百貨店でも、レジャー施設でも、海でも山でもいいわけです。

しかし色々ある中で、宗教施設を選んだというのは、

「正月の日本人の心が一時的に急速に宗教的になる事」をいちいち調査するまでもなく、鉄道会社の社員自体も承知していたのです。

 

このように、提案する側も、受け入れる側も、何も心に違和を感じずに、すんなりとこれを実行し、定着していった。

これはなぜでしょう?

それは、私日本人が「神道覚」という独特の感覚を有しているからです。

普通の神主が絶対言わない「神道論」(←ご参照)

 

行事という「表現」は、いくらでも変化しますし、その時々によって新たに作られ(創作)されていきます。

しかし、その中心となる核、すなわち「良いと思うものを取り入れる」という日本人の感性は決して「創作」することができない、尊い感覚です。

 

冒頭に述べた通り、人間というのは「批判の中に、その人の要望が投影されている」ものです。

もちろん具体的な国や地域の名は避けますが、民族の性質、歩んだ歴史などから、それまでの伝統や文化というものを一切合切破壊し尽くしてしまった人々がいます。(というかこれが実はスタンダードだとも言えます)

こうした人々の影響を大なり小なり受けた結果、正月における様々な行事を批判する記事が生み出されているのだろうと推測しています。

 

しかし、ちょっとキツイ言い方をしてしまいますが・・・

 

「的外れ」です。

 

「あなた方がありがたいと思っている伝統は、明治以降に作られた伝統なんですよ」

としたり顔で言ったところで、それを聞いた多くの日本人は「ふ~ん」くらいで終わりです。それよりも実際に正月に神社やお寺に行って、お参りをしておみくじを引いてキャッキャした方が楽しいから行く。これだけです。

 

こうした日本人の持つ「神道覚」は100年や200年の単位で変化するようなものではありません。

その点私は全然心配していません。

重要なのは日本人が「自分には「神道覚」という特殊な感覚を持っているのだ」と気づいてもらうことです。

当たり前過ぎて見逃しているその尊い感覚に気づき、それを大事にしてもらうことが私の使命だと言っていいかも知れません。

それこそ、これからの日本や世界にとって、重要な事柄だと思います。

 

是非みなさんも、それぞれが持っている「神道覚」を大事にして下さい。

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。