『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「ただ今ここにいる私」

こんにちは。

 

今日は寒いです。

でも北海道はとんでもない寒さらしいですね。

皆様体調にはご注意下さい。

 

 

ある人の事なのですが、

彼はとても真面目な性格で、

公私共に何事にもキチンと取り組んで生きてきました。

結果もちゃんとついてきて、

傍から見ても、充実した人生を送っているようで、

私としてはすごく羨ましく感じていました。

 

しばらく連絡を取っていなかったのですが、

とあることで連絡をしました。

ところが、メールの文面からも、いつも様子が違うのが伝わってきたのです。

 

急にメンタルを病んでしまったとの事でした。

直接会って話をしていないので、

アレコレ言えないと思ったので、私の思う事を少し綴ってその場は終わりました。

 

ただ、彼の嘆きの中で、とても気になる部分がありました。

それが・・・

「すべてがバカらしく思える」

というものでした。

 

今まで真面目に一生懸命生きてきた彼の口から、

こんな言葉が出るとは、私としてもとても心苦しかったです。

ただしばらくしてよ~く考えてみたのですが、

 

「彼は正解を述べているのかもしれない・・・・」

そう思うようになりました。

 

人間にはこの世の中にある色々なものを見聞きし、

それら一つひとつ理解しながら、世界というものを認識して生きています。

その役割を果たしているのが「思考」です。(仁先生の言葉だと「思考ちゃん」です)

これは何、あれは何、と「言葉」を使い、「意味づけ」をしていくわけです。

 

私たちが「リンゴ」と呼んでいる植物の種子も、

他の植物の種子と混同しないために、勝手に「リンゴ」と名付けただけです。

青森をはじめとするリンゴ農家の生活を支える重要な産品で、

さらにこの「リンゴ」は、人類が万有引力の法則を知る上で役立った木で、

世界で最も影響力を持つ会社の一つであるアップル社の名前とロゴにもなっている。

 

とこのように「名前」を付けたり、アレコレと意味づけをしたりしていくわけです。

しかしこれは、繰り返しますが、私たちがこの世界を理解するために、

私たちの「思考」が勝手にやっていることであり、

 

その植物は、ただただ、そこに生えているだけなのです。

 

つまり、「すべてがバカらしく思える」

というのは、非常に本質を突いている物の見方だと思うのです。

他者と比較することなく、ありのままで生きていれば、

人間が築いているこの社会という「意味付けだらけの空間」に対して、

「バカらしい」と感じるのも無理ないと思うのです。

 

しかし、これまで一つひとつに「意味がある」と思って一生懸命生きてきた人にとって、

実はこれはただ人間が物事を理解するためのものだった・・・と気づいたり、

或いは無意識の領域で感じ始めた人にとっては、

 

それまでの心の拠り所のようなものが、

ガラガラっと崩れてしまい、

それがメンタル的な苦しみとなってしまうのだと思うのです。

 

そしてこの意味付けは、周囲に対してだけでなく、

「自分」に対しても行われます。

私はこういう人間で、あれが好きで、これが嫌いで

こういう過去を背負っていて、だからみんなみたいにあれが出来なくて・・・・

だけどこれだけは頑張って人から認められないといけない!

 

みたいに、自分という存在に対して、自分がどんどん意味付けをしていくわけです。

しかしやはりこれも同じで、

自分という人間を自分が理解するために、意味付けをしたに過ぎず、

先ほどのリンゴと同じく、

「私は私」

なわけです。

 

この当然の事実を知った時、

やはり誰しも最初は苦しむと思います。

今まで自分が信じてきたものは、ただの意味付けで、

それに振り回されて、今まで頑張ってきたけど、

本当は実態のない、単なる思い込みに過ぎなかった・・・と言った具合に。

これを難しい言葉で言えば「自我の崩壊」と言うのだと思います。

 

しかし自分の心とトコトン向き合うことによって、

先ほどの

「私は私」

という事実が、非常に抽象的な物言いになってしまうのですが、

「全て」である。という気づきに到達するのです。

 

つまり、「私」を説明するために、

周囲の色々なものを引っ張ってくる必要がなく、

「ただ今ここにいる私」という存在が、すべてを物語っている。

という感覚を掴むことができるようになり、

「ただ今ここにいる私」は、

【思考】ではなく、【感覚として】心地よいと感じることをするようになり、

その人が本当にその人らしく生きられる人生がスタートするわけです。

 

 

私の友人は、こうした未来を迎える前段階として、

「全てがバカらしい」という真理と向き合い、

苦しみの時を過ごしているのだと思います。

 

自分を責めないで、欲しい。

それは「正解」だから。

そう、遠遥かに私の思いを届けます。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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