とにかく「手紙」を書く
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
今日は2月17日、「祈年祭」の日です。
神社には「三節祭」と呼ばれる大事なお祭りがあって、
一つが今日の「祈年祭」2月17日 ※お米の豊作を祈るお祭り
次が「新嘗祭」11月23日 ※お米の収穫に感謝するお祭り
もう一つが「例祭」神社に所縁のある日
とされています。
私が奉仕する神社は午後2時から祭典が始まります。
今日はご家庭でも、おひとり様でも、お米について考える日にしてみてはいかがでしょう。
さて今日は「手紙」のお話。
お話といっても、大した話ではありません。
ただ「手紙を書いてみましょう」というだけの内容です。
メールやLINEなどが発達して、手紙ってなかなか書く機会が減りました。
年賀状も年々書く人が少なくなってきているようです。
でも、やっぱり読む相手を頭に思い描いて書く手紙というのは、
メールやLINEと違って意外と素直な気持ちを伝えることができるものだなぁ~と思いました。
実はつい先日、直筆ではありませんでしたが・・・・
「送らない手紙」
をほぼ一日かけて書いてみました。
誰とはいいませんし、内容ももちろんお話しませんが、
私の人生に極めて大きな影響を与える人に対してです。
ただ、一つだけ言えることは、罵詈雑言とは申しませんが、
私なりにその人の人生を分析し、それによってこの人から私が受ける負の影響というものが、どれだけ凄まじいか。というものになっています。
はっきり言って、本人に見せてしまったら、
気が滅入るどころか、立ち直るのも大変なくらい、痛いところを突きまくっているような手紙です。
ただ、これも非常に月並な言い方ではありますが、
書き終わると、妙にスッキリします。
そしてそのスッキリは、書き終わった直後よりも、その後何日も続き、
手紙を書く前と、書いた後では、明らかに心持ちの変化を感じるのです。
私がお世話になっている、解放カウンセラー仁という方が作った、
YORISOIというサイトがあります。(女性限定)
こちは、自分のネガティブな感情を好きなだけ吐き出せるようなSNSになっているのですが、私が今回行った「出さない手紙」と似ていると思います。
とにかく、思っている事を「吐き出す」というのは大事なことなのです。
というのも、人間の脳というのは意外と手抜きが多くて
記憶というものを、キチンと整理しているようで、実はそうでもないようです。
すると、色々な記憶や感情が、ごちゃ混ぜになって、収拾が利かなくなっている場合が「多分」にあるのです。
それを言葉や文字にして吐き出すことによって、ある程度スッキリ整理されるというわけです。
「出さない手紙」は文字通り、相手を思い描いて書きますが、本人には出しませんから、どんなことを書いたって大丈夫です。
ただこれは飽くまでも私個人のテクニックではありますが、
「綺麗な言葉を使う」というのを心掛けるといいような気がします。
非常に例えとしてよくないのかも知れませんが、仮に殺してやりたいと思う程嫌いな人へ手紙を書こうとした場合、
■お前を殺してやりたくて仕方がないと思っていた!!
と書くよりも・・・
■あたなの死を常に願い、時には私がそれを現実のものにしてしまおうと思うことさえありました。
といういうように、なるべく綺麗な言葉で書く事によって、手紙全体に冷静さのようなものが宿ると同時に、なんとなく自分自身も冷静でいられるように思うのです。
さらにこの手紙は、自分自身へ書いてもいいと思います。
小学生の自分、中学生の自分、高校生の自分・・・あの時の自分
と言ったように、過去の自分に対して、今の自分が手紙を出してあげるというのも、なかなか有意義なものだと思います。
私は「過去というものは存在しないもの」と認識して久しいですが、
それでも「記憶というものは連続するもの」であることは確かですから、
だから、過去の自分に対して、今の自分として言ってあげられる言葉をかけることによって、自分自身を癒すことができるのではないかと思うのです。
もしお時間があるようでしたら、チャレンジしてみて下さい。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。