『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「やがて去る」というイメージ

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

今日は東京マラソンの日ですが、一般の方の参加はできなかったそうですね。

せっかく参加権を得たのに、出場できなかった方はとても残念でした。

また来年是非トライして下さい。

 

 

さて、今日も私事で恐縮ですが、

私たちは日々色んな感情を感じて生きています。

そして、人生において、繰り返し同じような感情を味わうことがあります。

前回のブログ池の葉っぱを見つめる少年

で語ったように、自己イメージと関係してくるお話なのですが、

私は今までこういう経験を繰り返し、繰り返ししてきました。

それが・・・

「組織などを作り運営し、やがて批判や内部分裂によって、その組織が瓦解するか、自分が離れる」

というパターンです。

 

本当に私はこの人生で、これを何度も繰り返してきました。

小学生の時に「〇〇チーム」みたいなのを作って、批判と内部分裂で、そのチームは崩壊しました。

中・高ではありませんでしたが、大学の時には引き継いだサークルを運営して、結局後輩から追い出されるような形になりました。(もちろん私の問題で)

社会人になって、遊びサークルみたいなのを作ったけど、運営しきれず逃げ出しました。

一人で神社関係の組織を立ち上げましたが、批判に耐えきれず止めました。

この他にも、何か組織を作ったりしようとした瞬間に、誰かに止められたりして、できないという状況が何度もありました。

また自分でこうした組織を作ろうと思いたつのに、急に止めてしまうことも山のようにあるのです。

 

そして・・・

ここからが重要なのですが、

そうなること(崩壊したり、逃げ出したりすること)をある程度「予期」しているのです。

 

「自分は人の上に立つと、やがてそれを下り、その場を去る」

 

という自己イメージがあり、その時に感じる「感情」がいつも同じなのです。

そして、以下のキーワードとリンクします。

それが「廃帝」「最後の君主」と言ったものです。

 

己の力不足を自分で理解し、それによって自分の地位が終われ、やがて国(組織)がなくなるというようなイメージが、私のこうした経験の中で、何度もイメージされるのです。

 

やはりこれも私の人生において、取り組むべきテーマであることは間違いありません。

そして、これも実はもう気づいていることなのですが、

やはりここにも私の「弱さ」という問題が根を張っているわけです。

 

私は個人として弱く、闘うことができません。(と思い込んでいます)

そのための知恵の一つとして、組織を作って直接攻撃を受けることを避けようとしているのだと思います。

組織という「壁」を一枚挟むことで、安心(できると思っている)のです。

大きな「気づき」

で述べた通り、私はとにかく、あの手この手で自らの弱さを隠し、そしてそれをなんとかカバーしようと必死だということです。

この私の人生における、

「自分は人の上に立つと、やがてそれを下り、その場を去る」

という自己イメージもその中の一つであり、

そしてその都度、それを予期しているというのは、やはり自分の弱さというものを、誰よりも自分で理解しているからこそだと思います。

 

やはり私の根本的に取り組むべき課題は、この弱さ(闘わない)という特性を、如何に克服するか。ということなのです。

先月、「統合神道事務局」というのを立ち上げ、そして神道に関する情報は「神道情報発信室」という所から発信しようと思いツイッターのアカウントを作成しました。

今までのようにはせず、何とか初期の志を貫いて、多くの人の役に立つような活動を展開して行きたいと思っています。

 

ただ、今までと大きく違うのは、私の弱さ(闘わない)という特性は、もちろん一朝一夕で克服されるものではありませんが、先ずはそれに気づいたということが大きな違いなのです。それだけでも大きな前進だと思っています。

 

みなさんが、こうした似たようなパータンを人生の内に何度も繰り返す。というような経験はあるでしょうか?

あれば、きっとそれは何か「その人生」において取り組むべき課題だと思います。じっくり分析してみて下さい。

 

 

 

それでは今日はここまで、

最後までお読み頂き、ありがとうございます。