『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

私たちが絶対にできない事

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

以前もこのブログかYORISOIで書いたことですが、

大事なことですので、何でも書きたいと思います。

 

私たちは鳥のように、空を飛ぶことはできませんが、何百人と乗れる飛行機に乗って世界中を旅することができます。

私たちはチーターのように、早く走る事はできませんが、200キロを超すような自動車を開発し操縦することができます。

私たちは蟻のように、自分の体重の何倍もの物を持ちあげることはできませんが、何トンもするものを持ちあげるクレーンやブルドーザーを開発し操縦することができます。

 

このように、人間は知力を働かせ、他の生き物とは全然違う高度な文明を築いてきました。

またこれとは別に、同じ人間でも、

女性は子供を体に宿して出産することができますが、私を含め男性にはできません

ウサイン・ボルト選手は100mを9秒台で走りますが、私はどう頑張ってもできません

私が今からハーバード大学を受験し一発合格し、首席で卒業するのはできないでしょう。

このように、同じ人間ですが、性別やそれぞれの身体的・知的能力によって、どうしてもできない事もあるのです。

 

しかし今回の「できない事」というのは、こうした「できない」とは次元が違います。

性差や個人の能力の違いとか、そういうことが理由できないのではありません。

またできなくても、別の方法をでできるようになるという類の話でもありません。

人間である以上、もう少し正確に言うと、この肉体を有している以上、絶対に絶対にできないことがあります。

それが・・・・・

 

 

「相手の気持ちを100パーセント理解する事」です。

 

 

私たちは、どんなに努力しても、これだけはできません。

もちろん、人によって、相手の気持ちを察する能力が高い人もいます。

しかし100パーセントは不可能です。

その上「気持ち」というのは全て言葉で表すことはできません。

また、ある二人が、同じものを見て、同じように「美しい」と感じたとしても、

その「美しい」と感じた感覚(つまり気持ち)が一緒とは言えないのです。

 

ではなぜ、私たちは「相手の気持ちを100パーセント理解する事」ができないのでしょう。

「そんなの別の人間だからに決まってるだろ」と言う声が聞こえてきます。

はい、もちろんその通りです。でもそれをもう少し別の言葉で言い表してみたいと思います。

それが「分離」です。

私たちは別のものとしてそれぞれ存在しています。

人も、花も、石も、パソコンも、アイフォンも、本も、ペンも、車も・・・・

全てがこの私とは別のモノとして存在しています。

それぞれに「境界」があり、合体することができないのです。

 

しかし、これとは逆に、余すことなく全てが合体し、一つになった存在があります。それが【元型(アーキイプ)】です。境界がなくあらゆるものが調和しています。「分離」に対して「統合」している状態です。

 

【元型(アーキイプ)】という「統合」した存在の中に、

私たちが住む【物理宇宙(世界)】という「分離」した世界があるのです。

卵の白身が【元型(アーキイプ)】、黄身が【物理宇宙(世界)】と言ったイメージです。

 

私たちが今住んでいる【物理宇宙(世界)】は、繰り返しますが、全てがバラバラです。それが原則です。ですからそれが「テーマ」なのです。

つまり、バラバラに分離していて、相手を理解することができないからこそ、相手の気持ちを理解するように努力するべきだ。という「テーマ」です。

 

本当に心から愛する人がいれば、お金で釣ったり、物を贈ったりすることが、相手を本当に喜ばせることではありません。お互いの気持ちを分かり合おうとすることが、一番の愛の表現となります。その上でお金や物を道具として使うべきなのです。

 

ビジネスの基本は、右から左に商品を移動させることではありません。お客が今本当に何を求めているかを思い遣り、それを提供することです。

 

心に傷を負い、精神的に苦しんでいる人には、気分を上げる、或いは下げる薬を投与することでも、自己啓発の本を読んでテクニックを身に着けることでも、風水でも、占いでもありません。その苦しみをなんとか理解しようとしてくれる人の存在そのものが何よりの支えとなるのです。

 

そう、と~ってもわかり易く、でも心を込めてこの一言を述べると・・・

 

 

「みんな解って欲しい」のです。

 

 

なぜなら「分離」しているから。

ですから、そのその前提に立ち、できないからと言って放棄するのではなく、

できないからこそ、相手の気持ちを理解しよう、理解しようと努力することが、

私たち分離した存在一人ひとりに課せられたテーマなのです。

 

 

「仁」という漢字があります。

この漢字の成り立ちは諸説あって、人が対面している様子を表しているとも、座布団を差し出しているとも言われています。

自分とは異なる人間を思い遣る姿を現した文字だと思います。

この漢字を代々名前の「通り字」にしているのが、

天皇です。

日本の天皇は代々この「仁」の文字を受け継いでいます。

なぜなら、それが一番大事だからです。

つまり、相手を思いやることが何よりも大事であることを知っているからです。

日本の象徴が、その御名前からこうした教えを私たちに伝えてくれています。

 

私たちも、是非心に「仁」を刻みましょう。

相手の気持ちを100パーセント理解できないからこそ、解ろうと努めましょう。

こんな嫌なご時世だからこそ、尚できないことに挑戦しましょう。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。