生まれ変わりの話(第1章 あの勲章)
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
このお話はちょっと長くなるので、何回かに分けて投稿します。
タイトルの通り「生まれ変わり」についての私の考えをありのままに語ります。
すべて私の体験に基づくことを一切の脚色せずにお伝えします。
こういう話が苦手な方はスルーなさってください。
ご興味のある方は、結構楽しいと思います^^
それでは参ります!
私の父は婿養子でしたので、父の実家は私が生まれ育った土地ではなく県外にあります。
かなりの旧家で『日本昔ばなし』のお話にも登場するくらいの古い家なんです。
子供の頃は、お盆などの時には父の実家に行って、親戚が集まってワイワイやっておりました。
二階建ての大きな家で、その二階には高齢のひいおばあちゃんが暮らしていました。
彼女の枕元にはガラスの戸棚があって、色んな置物が飾ってあったのですが、その中の一つに写真の物がありました。↓
これは「勲八等白色桐葉章」(くんはっとうはくしょくとうようしょう)という国から貰える「勲章」です。
重厚な漆塗の箱に入っているその勲章を私はもう見るなり目が釘付けになりました。
子供の私は、この勲章がそりゃもう欲しくて、欲しくて溜まりませんでした。
しかし周囲の大人たちは「変なモノを欲しがる子供だ」と言って取り合ってくれません。
そしてよくよく話を聞くと、この「勲章」はこのひいおばあちゃんの息子の一人(私の大叔父)に当たる人が、先の大戦で戦死したので、国から授与されたものなんだそうです。
そして、その戦死した大叔父は「南方のどこかの島で亡くなった」ということくらいしかわからなかったのです。
私はこの「勲章」を、父の実家に帰る度に眺めていました。
本当に心が奪われるとはこのことだと思います。
そして、私が確か小学6年生くらいの時に、ひいおばあちゃんが亡くなりました。
私も中学生となり、ひいおばあちゃんの法事も何回忌かが過ぎた時に、
小さい頃から、余りにも私がその「勲章」が気になっているものなので、
とうとう、おばあちゃん(父の母)が私に遂にくれたのです。
きっとひいおばあちゃんも亡くなったし、あげてもいいと思ったのだと思います。
私はそれ以降、こうした古いモノを集めるのが趣味になりました。
中学生の趣味が骨董品の収集。しかも全て「軍隊物」と言って、
戦時中の軍隊で使用するものばかりです。
小遣いは全て骨董品集めと言うわけです。
今思うと、そのもらった「勲章」を中心にして、
これを基準に集められるものはなんでも集める。と言った気持ちだったと思います。
ですので、今でも私は日本の近現代史に強い関心がありますし、
また、祖父や祖母から聞く戦争中の話と、学校の先生から聞く戦争の話が、あまりにも違う事に、大きな疑問を持ち、その心の葛藤みたいなのを、なんとか整理したいというのもあって「神職」という道へと進んでいったのも大きな理由になっています。
とにかく、私が暮らしていた、実家の私の部屋は、
まさに、骨董品屋状態で、色んな旧日本軍の装備品などが所狭しと展示してありました。
とりあえず、今回はここまで。
続きお進みください