生まれ変わりの話(第4章 私の名前)
前回の続きになります。
こちらの記事を読む前に、まだ前の記事を読んでない方先に↓
をお読みください。
もうお気づきの通り、
ここまでのお話で、私がこの大叔父を「自分の生まれ変わりなんじゃないか」と思うのは自然なことだと思います。
勲章をあれだけ欲しがった事に加え、
理想的な最期の迎え方は、「中隊長殿!」と叫んで戦死したい。と飲み会の席で言ったこと。(実際には「小隊長殿」でしたが。)
それにしても、奇妙過ぎる一致です。
「生まれ変わり」って本当にあるのか?
という議論になった時、「私個人の意見としてはある」と答えています。
そして、この「生まれ変わり」というのは、
魂のようなものがそのまま継承されるようなイメージがありますが、
私(というか「統合神道」としての答え)は、「課題」「特性」「性質」というものが、次の「命」に引き継がれることが「生まれ変わり」だとしています。
【元型(アーキイプ)】が
【物理宇宙(世界)】に
【命】という「生きる」という「特性」を持った自身の一部を
【肉体】という「分離」したものへと宿します。
これを私たちは「私」と呼んでいます。
そして、その「私」の肉体が滅びると、再び【命】は【元型(アーキイプ)】へと「統合」されていくのです。
そして、前の人生で経験したことや、向き合った課題などを、まだ継続したい(必要がある)となった時、再び【元型(アーキイプ)】は【物理宇宙(世界)】に【命】を送り込み、その課題へと取り組むように感じるのです。
というのも、
大きな「気づき」
で語ったように、明らかに私は「闘いが怖い」という「特性」を持っています。
そして、この「特性」を持っていたからこそ、
「自分は弱い」という自己イメージを自身の心の中心に据えたのです。
そして、自分を嫌い、自分を蔑み、自分を粗末に扱う人生を長く送ってきました。
しかし、それがあったからこそ、人とは違う生き方を子供の頃から模索し、こうして神職になり、やがて【元型(アーキイプ)】の存在と出会ったのです。
さらに言えば、長く心に苦しみを抱え、自分という存在を「無価値」に扱い続けたからこそ、価値そのものである【元型(アーキイプ)】という存在に気づいたとも言えるわけです。
全ては私に「闘いが怖い」という「特性」があったからなのです。
そして、もうお気づきの通り、この「特性」は私が生まれ変わりと信じる「大叔父」が、まさに「闘い」によって死んだから得た「特性」であると言ってよいでしょう。
敵陣地に一人で突っ込み、敵兵を踏みつけて殴り合いをし、機銃掃射を受けて死んだ大叔父は「人間同士が争う」という恐ろしさを、まさに強烈な印象と共に体験し、その生涯を閉じ、そして、それを【元型(アーキイプ)】へと持ち帰ったと思います。
それを、この「私」に「闘いが怖い」という「特性」として受け継がせ、また新たな経験を積ませているように思えてならないのです。
またこの「人間同士が争う」というのは、まさにすべて「分離」している【物理宇宙(世界)】特有の現象です。【元型(アーキイプ)】は全てが統合しており、完全に調和しているので、争うことがありません。
つまり、前回の
で記しましたが、私たちは普段は「分離」していますが、祭りなどの機会として、一時的に「統合」することがあります。
私にとってこの「統合」というのは、何においても心を惹きつけられるものです。
多くの人と共に一体感を味わうというのが、私にとって最大の喜びです。
そして、それを神社・祭りというものを通じて、多くの人たちと共有したいというのが、私の願いなのです。
つまり、これも、大叔父の「人間同士が争う」という経験が、
それとは真逆のものである「人間同士がつながる」というものに対する憧れへと結びついているように思うのです。
ですから、
こうした経緯から、私のこの人生における課題というのは、
やはり「闘いが怖い」という「特性」を認めつつも、それを「自分は弱い」という自己イメージを転換し、
そして、多くの人たちに神社・神道というツールを用いて、「統合」の素晴らしさを伝えることだと思っています。
しかしこの「闘いが怖い」というのは、私の人生からスタートとした「特性」です。
私の大叔父はむしろその逆で、敵に果敢に向かっていく程の勇気と強さを持っていた人です。
ですから、私はこうした大叔父の強さに、深い敬意を憧れを抱いているので、本名と異なる、彼の名前を名乗っているのです。
大叔父の亡くなったのは、4月3日とされています。
しかし、大叔父の最期を残してくれた市川氏の書籍によれば、4月15日です。
まさにちょうどこの日本では桜の咲く時期に大叔父はフィリピンの山中に散ったのです。
毎年4月の上旬になると、靖国神社へお参りに行きます。今年は明日参拝します。
心からの敬意と感謝を捧げ、そしてどうぞその勇気をこの私に与えて欲しいと願うために。
ずいぶん長くなりました。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
それではまた。