『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「性」のお話し

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

そういえば、毎週火曜日に通っていたパソコン教室も先日遂に臨時休校になってしまいました。

このブログの内容を基に音声でも発信して行こうと動画の勉強をしていたのですが、こういう理由でもう少し先になってしまいそうです。

 

 

 

さて

今日も大事なお話です。

最初に申しておきたいことがあります。

それは「あらゆるものには「例外」がある」ということです。

「例外」というのは「例外」であって、全体の話しをする場合は一旦置いておく必要があります。ですからこれからのお話の中には「例外」が存在することは十分承知しているが、語っていない。という部分が現れます。それを先ずご理解下さい。

 

 

 

私たちの「身体」というのは「男の身体」と「女の身体」の2つに分けられます。(←これに「例外」があるということですが、今回は語りません)

 

しかし驚かれると思いますが(私も驚きました)

男性もちゃんと「子宮」を持っています。

ふざけて言っているのではなくちゃんと子宮があるのです。

「前立腺小室」という器官がこれです。

逆に女性にも男性器に相当する器官がちゃんとあるわけです。

 

私たちの「身体」は元々は全て「女性」でした。

しかし母親の胎内で「どっちとして生きるか」という判断が下されることによって、

「男性」・「女性」という2つの性があるのです。

 

つまり「どっちとして生きるか」という判断によって、

その体を「女性」にするなら、その機能を前面に出し、

その体を「男性」にするなら、その機能を前面に出す。

ということになるわけです。

 

男性の子宮である前立腺小室は非常に小さい器官です。

つまり「女性的機能」を縮小させているということになります。

逆に女性の男性器に相当する部分が小さく表に出ていないのも同じことで、

「男性的機能」を縮小させているということになるわけです。

 

しかしここが非常に大切な部分になりますが、

「ゼロではない。」ということです。

その「機能が前面に出ていない」というだけのことで、取り除かれたり、否定されたりしているわけではないということに注目しなければなりません。

繰り返しますが、私たちは、

「どの性として生きるかを判断し、その方の身体機能を前面に出して産まれてくる」のです。

 

 

ということは、人間の「精神」も全く同じように「男性的」「女性的」の2つがあるのです。

男性の身体を有する人は、自分の精神が「男性」であると思っています。しかし必ずしも、男性だからと言って、その精神が全て男性的であるとは決してありません。

また同じように、身体が女性だからと言って、その精神が全て女性的であることはありません。

 

ある子供を持つ若い夫婦がいたとしましょう。

夫は家族を養うんだと言う強い決意の元、日々仕事を頑張っています。誰にも負けないと一生懸命です。趣味は愛車でのドライブで、車磨きに余念がありません。

妻は子供と穏やかな日々を過ごし、夫や子供や喜ぶ顔を想像しながら夕食の支度をして待っています。趣味はママ友とお茶をしながら談笑することです。

 

そして30年後・・・

 

夫は退職し、車への興味は薄れて乗らなくなり、台所に立ってお菓子作りが趣味になりました。近所のリタイア組が集まる場所に行っては談笑する日々を送っています。

妻は老後の生活が安心できるものでありたいと、パソコンを習って家計簿を付け、健康管理の為の情報収集に余念がなく、夫を支えるという気概に満ち溢れています。

 

 

さぁ

この2人の心を見つめてみましょう。

若い夫の「家族を養う」という強い決意は「男性的」です。さらに「誰にも負けない」というのも「男性的」、そして車好きなのも「男性的」です。

若い妻の夫や子供を思う気持ちは「女性的」ですし、ママ友の会話も調和を喜ぶという点はまさに「女性的」です。

所が30年後はどうなっているでしょう。

夫は車ではなく、お菓子作りが趣味となり、さらに近所の人たちのと会話が楽しみというのは「女性的」です。

妻は暮らしの安定という目標を持ったことによってスキルを磨き、夫を支えるという強い気持ちは「男性的」です。

 

このように、人間は立場や環境によって、持っている「男性性」「女性性」を前面に出したり、引っ込めたりします。

私のイメージで言えば、シーソーのように、パタパタとどちらかが上がって、どちらかが下がる。と言った感じです。

 

今のお話だと、まるで「30年」という年月が人の精神に変化をもたらしたように思うかも知れません。もちろんそういう部分はあります。

しかし決してそれだけではありません。私たちの精神は日々どころか、毎瞬毎瞬「男性性」と「女性性」をパタパタと入れ替えているのです。

 

例えば非常に極端な例を挙げてみましょう。

タレントのIKKOさんをご存知だと思います。

彼はいわゆる「オネエ」としてテレビに出ています。

しかし本職は美容家です。

人間を如何に美しく魅せるかのプロです。

彼の手掛けた化粧品などはそれはそれは海外でも大人気です。

それほどまでに彼の「美」に対する探求心は凄まじく、結果もついてきています。

 

・・・・

 

これまででお気づきになりませんか???

「美しさ」というものに関心を寄せ、それを仕事とし、さらに「オネエ」として活動されているのはまさに「女性的」です。

しかし

「美しさ」を引き立たせ、探求し、さらには商品として売り出してビジネスを成功させるというのは「男性的」です。

つまり、美容の事は誰にも負けない!という姿は、

「女性的」な視点を持ちつつ、「男性的」な力強い行動として表れているのです。

 

一人の人間が、この「両性の特性」を上手に活かしているからこそ、あのように成功を収めることができたということなのです。

彼も子供の頃非常にいじめられたそうです。「女性的」だったから。

しかしそれは彼にとって、最大の強みでもあったのです。それは本当にお優しいお母さまから受け継いだものだったと聞いたことがあります。

 

 

 

「男性だから男性らしく」「女性だから女性らしく」というのは、大切なことではありますが、それで「損」することもあるのです。

自分の「身体の性」にとらわれず、「精神の性」を自由に使い分けて良いのです。

そしてそれができないのであれば、自分とは異なる性の人に、素直に聞けばいいのです。

「これどう思う?」と。

そうすると、自分とは全く違う視点でのアドバイスをもらえることがあるでしょう。そしてそれを仕事や日々の暮らしに活かすことができると私は思います。

 

何かの参考になれば幸いです。

 

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。