『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

コロナ終息後のあなたは「今」で決まる

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

「社会的責任」「社会的使命」

 

みたいな言葉があります。もちろん学校では教わりませんが。

要は自分という存在が社会に対して負っている責任(使命)と言った意味になると思います。

もちろん私たち日本人は教育・勤労・納税の義務(責任)がありますから、それだけで十分社会に対して貢献をしているわけです。

しかし上記の義務(責任)というのは、憲法に定められたものです。

今回取り上げたいのは、それとは異なるもののお話です。

 

 

幼稚園・保育園の先生の給与というのは、大変低いで有名です。

人間の脳が一番発達するこの時期の子供の教育は、

本当に本当に本当に本当に・・・・重要です。

しかし「子供を預ける場」という印象が強いせいなのかわかりませんが、

超重要な教育場と捉えられず、その影響もあって保育士の待遇が悪いのです。

しかしその仕事はハードそのもので、私たちには想像することができないほど過酷なんだそうです。(実際に保育士の方に聞いたので確かです)

 

給与も低いし、仕事はとてもキツイ・・・

しかもミスがあろうものなら、親から容赦ないクレーム、

ただ、それならまだいい方で、小さなミスが子供の命の危険まで発展しかねません。

保育士というのは、それだけ大変な仕事なのです。

私個人としては、今の保育士さんの給与を3倍くらいにする政策を打ち立てるべきだと思っています。

 

でも、そんな大変な仕事なのに、なぜやっていられるのか、

もっと別の「見合う仕事」に就けばいいのに・・・

と思うものです。

なぜ彼らは保育士という仕事を続けられるのか。

その答えは非常にシンプルなものでした。

 

 

 

「子供がかわいいから」

 

 

 

これだけなのだそうです。

この「子供がかわいい」という、それこそ子供のような純真無垢な思いを持っているから、「私が保育士として子供の教育をしないで誰がやるのだ!」という社会的責任・使命というのが燃え上がり、どれだけ給与が低かろうと、どれだけ仕事内容がきつかろうと、どれだけ親に文句を言われようと、頑張れるというわけです。

 

「子供がかわいい」という思いは、まさに「理由のない好き」に属するものです。

その保育士として働く人、つまり「本当の私」が備えた「感性」に基づく感情です。

これがどれほど尊いことが、私たちは改めて考えなくてはなりません。

お金を積んだわけでも、頼んだわけでも、強制したわけでもないのに、ほぼ自発的に動き、その社会的責任・使命を果たそうと努めてくれる姿に私たちは心からの感謝を捧げなければならないのです。

 

これと全く同じ話ですが、

私は神社の神主です。

祭りなどの行事が近づくと、氏子さんたちが色々と準備をしてくれます。

また氏子さんたちが自主的に集まって、祭りの相談をしています。

どうすれば安全に、皆が楽しく祭りを奉仕できるかと、それぞれが一生懸命考え、そして当日を迎えるのです。

確かに祭り当日は楽しいものです。しかしそこに至るまでにどれだけたくさんの人たちが準備に携わり、また片付けにどれだけ苦労するか・・・

これだって、やはり多くの氏子さんたちが

 

 

「お祭りが好き」「神社が大切」

 

 

という尊い気持ち、つまり「理由のない好き」を持っているからであり

神社というのは、こうした気持ちによって支えられているのです。

というよりこうした気持ちがなければ、とっくに神社や祭りなんてものは廃れているのです。

氏子さんのこうした気持ち・思い、そして行動に触れる度に、

「神と人は等しく尊い」と思えて正直涙が出てくるのです。

 

 

今日本を含め、世界は疫病と苦しい戦いを続けています。

そのような中で、多くの人たちが社会的責任・使命を果たそうと懸命に働いてくれています。

 

「一人でも多くの救える命を救いたい」という、医師や看護師等の医療関係者たち、

「人々の生活を滞らせてはいけない」という、物資の製造、輸送に関わる人たち、

「皆に食べ物を提供しなければいけない」という食料の生産、販売に関わる人たち、

などなどなどなど・・・・・

 

今この瞬間も、「私がやらないで、誰がやるんだ!」という思いから、本当は休みたい、本当は現場から離れたいという誰もが抱く気持ちを殺して、頑張っている人がいるのです。

 

まさに「感謝」が目に見える形として、この非常時に現れているのです。

そりゃ本当に私たちは今苦しい生活を強いられています。

自由が制限されて、会いたい人にも会えず、行きたい場所にも行けない・・・

文句も出てきます。私も同じです。

 

でもそうだけれども、考えを変えて、この苦しい時期にたくさんの「感謝」を探そうとしてみましょう。

絶対に「文句の数以上の感謝」があるはずです。

そしてその「感謝」は、本当に人間の純粋な気持ちに依拠するものがたくさんあるはずです。

 

はっきり言いましょう。

このコロナの時期に

「たくさん文句を言った人」と「たくさん感謝を見つけた人」では、

コロナ終息後の生き方、どころか「人種」すら違ってきます。断言します。

まさに今それが試されているのです。

 

今からだって全然遅くありません。

テレビや報道に騙されないでください。メディアは参考でしかありません。

あなたの目で見て、あなたの頭で考えて、「感謝」を探して下さい。

あちこちに散らばっています。

私もそうします。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。