元号なんてイラナイ?
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
あともう少しで「令和」になって1年経ちますねぇ。
もうなんだかすっかり慣れた感じがします。
ただ今までの元号で、一文字目の一画を「令」のように大きく払う文字がないので、
書くたびに「なんかオシャレだなぁ~」と感じています。
因みに今見たら一画目を払う文字は「仁」「徳」「久」「観」あたりがありましたが、いずれも「令」とは趣が違いますよね。
今月の19日に予定されていた
秋篠宮文仁親王殿下の「立皇嗣の礼」という儀式で、
この令和の即位関連行事が全て終わるはずでしたが、
ご存知の通りコロナの影響で延期になりました。
ちゃんとお祝いできる状態になってからの方が良いという判断だと思いますし、私もそう感じます。
ほんの一部の人でしょうが、この改元の時に「元号をなくせ!」みたいなことを言っている人がいました。私はこういう人たちに「訳あって」反論をしません。
ただむしろ、私はそれに対して反論している人の方が気になって仕方ありませんでした。
というのも「元号はずっと長く使われ続けたものだからそれをなくすのはダメだ!」というものでした。他にも反論の弁はありましたが、それは置いておくとして、今記した内容であれば、「では長さの定義は何なのだ。」と言われたら何とも言いようがないと思います。
或いはこれと同じ論調で、「天皇も何代も続いているものだから、これを維持しないといけない」みたいなことを言う人がいますが、では「何代目からが維持すべきで、何代目から維持しなくもいいのか」みたいなことを言われると思うし、むしろそう思う方が自然だと私は思います。
「長く続いたものを守る」という気持ちはよ~くわかります。
神社の祭りや地域の伝統というも同じことです。
しかしこういうものを「様々な理由」から嫌う人たちにしてみれば、
「長さ」つまり「時間的な長さ」というのは、
「守る理由」にはならないということなのです。
ですから、いくら「時間的な長さ」の重要性・ありがたさ、みたいなことを説いても無意味だと私は言っているわけです。
しかし私の情報収集能力の低さ・交友関係の狭さ・激しい同族嫌悪などの理由を差し引いても、これに代わる、「おっ」と膝を打つような、こうした人たちや、或いは特定の政治的イデオロギーを有さない、一般の人たち(←むしろこうした人たちが一番重要なんですが)に向けた話を、同じ神職から聞いたことがないわけです。
非常に批判めいた言い方になって恐縮ですが、
これには理由があります。
ズバリ申し上げれば
「今の神職が勉強不足だからではありません(私も勉強不足です)、一番の理由は「思想」を持っていないからです。」
そして
「思想とはそのものに対して興味関心を持つことによって、はじめて生じるものです。つまり、今の神職は「神道に興味がない」のです。」
では一体何に興味があるのか・・・
神職のみなさん、これ以上私に言わせますか??
どうぞご自身でお考え下さい。
・・・・話しを戻します。
では、その「時間的な長さ」とは別に、こうした伝統的なものを維持する他の理由があるだろうか。考えるわけです。
すると、すぐに思いつきます。0.1秒で理由が見つかります。
今までの私のブログをご覧いただいている皆様はもうお分かりと思います。
はい、
「存在しているから」です。
「元号は何年から尊くて、何年から尊くないんだ」という議論は
「人間は貯金がいくらあったら偉くて、いくら以下だったら偉くない」と言っているのと同じなのです。
違います。
元号も人間も「存在しているから」尊いのです。
「有る」から尊いのです。
元号は遥か昔に大陸から輸入したものです。
中国の皇帝は力であらゆるものを支配します。
だからもっと力があるものが出てくればその地位を追われたのです。
そうした中で「時間」をも支配しようと考えて作られたのが「元号」でした。
一年前の改元前後に、こうした中国皇帝の「時間支配説」を取り上げて、今の日本に相応しくないと廃止を訴えている人も「政党」もありました。
どうかその「色眼鏡」を外して日本の元号を眺めて下さい。
特に一番始めの元号である「大化」の文字をよ~くみて下さい。
この二文字に国民を支配しようとする思想や意図が隠されていますか?
この二文字から、
「中国の先進的な知恵や技術をどんどん吸収し、(大)きく進(化)していくぞ!」
という先人たちの意気込み、前向きな姿勢、少年のような目の輝き・・・そうしたものが見えてきませんか?
私はこの二文字から、1300年以上前のこうした先人の姿をありありと想像することができます。
この大化以前、日本には元号はありませんでした。
しかし私たちの先人たちは「ゼロ」から「有」を生み出したのです。
元号を国の目標やめでたいしるしとして、皆で共有しようという「思い」を中国から輸入した元号というものに込めて、生み出したのです。
だから「存在するから尊い」のです。
「時間の長さ」はおまけなのです。
昨年の改元によって、こうして改めてこうしたことを考えるきっかけをもらいました。
ありがとうございます。
それでは今日はここまで。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。