「彼らの悲しみ」
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
緊急事態宣言が延長されるとの報道がありました。
総理も会見で示唆されており、やがて正式な発表があるでしょう。
さて
東京の東村山市というところに在る国立の施設があります。
名前を「国立ハンセン病資料館」と言います。
私もまだいけてないのですが、年内に訪れる予定でいます。
この施設はその名の通り「ハンセン病」という病気を正しく理解し、
この病に罹った人たちが、どのような苦しみを負ってきたかを知ることができる施設です。
この病気に対して、私も私なりに興味を持って、色々と調べてきました。
というのも、神道では「病気」というのは「穢れ」の一つ考えれられてきました。
特にこの「ハンセン病」は日本では「癩病(らいびょう)」と呼ばれていました。
大祓詞の中に「白人胡久美(しろひとこくみ)」という一節があるのですが、
これはこの癩病の人を指すという解釈もあり、
感染症を持つ人は村や集落を滅ぼしてしまうという理由から忌み嫌われ、
「罪」として認識されていたのです。
現在神社や神職の養成機関で使用される「大祓詞」には「白人胡久美」を含めた部分がカットされたものが奏上されます。
しかしそのカットした理由を私は聞いたことがありません。(もし言っていたら教えて下さい)
しかし、もし神社界として、この伝染病は罪である。という考え方が誤りであるとするならば、その誤りに対する謝罪をし、カットするべきだと私は考えています。
この「ハンセン病」は近代になって、国の方針として「隔離政策」が取られ、
この病に罹った人は強制的に隔離施設での生活を余儀なくされました。
小学生の頃にこの病を発症したある男性の話をある動画で見ましたが、
彼はそれまで学校のクラスで皆と仲良く過ごし、とても人気者だったそうです。
しかし病気が解ると、途端に周囲の態度が変化し、挙句の果てには先生にまで、「もう学校には来るな!」と言われ、大好きだった学校を去らざるを得なくなったそうです。
また彼らの多くが家族や親類からも忌避されるという苦しみを味わったのです。
彼らは国の政策の下、家族と離され、施設で暮らし始めます。
感染防止の為、彼らには施設内でしか使えないお金が発行されたそうです。
治療や看護が行われてはいましたが、
その中に「断種」というものがありました。
つまり「性機能」を奪う手術が公然と行われていたのです。
「ハンセン病」は感染病です。遺伝するものではありません。
それを分かっていながらも、彼らは半ば強制的にその性機能を剥奪されたのです。
人間の尊厳蹂躙と言わずしてなんと表現することができるでしょう。
そして本当に悲しいことに、彼らの中(少なくない数)には、
死んで骨になっても故郷に帰ることができなかった人がいます。
引き取り手がないためです。施設内には納骨堂があり、彼らの遺骨はそこへ安置されています。
現在「ハンセン病」は有効な治療薬が開発され、この隔離政策はなくなりました。
しかし長くこうした施設で暮らしてきたことにより、社会復帰が難しく、未だに施設で暮らしている人も多いのです。
なぜハンセン病患者はこのように、それこそその人権を無視され続けきたのでしょう。
もちろん彼らに一切の罪はありません。
しかし、彼らに対して酷い仕打ちをした側である多くの人にも罪はないのです。
なぜか・・・
それは「無知」だったからです。
確かに、今まで仲よくしてきたクラスメイトの態度の豹変、
強制隔離、断種、遺骨の引き取り拒否・・・
これらは本当にあってはならないことです。
しかし「無知」という魔物の暴走がこうした悲劇を生んでしまったのです。
そして、そして・・・
もし、私が当時「ハンセン病」を患った人を目の前にした時、
一体どんな態度を取るか・・・・
きっと、周りと同じことをしていたハズです。
優しい言葉など掛けてあげることができなかったと思います。
逆に私が「ハンセン病」に罹患したら、
これは伝染病であり、遺伝する病ではないから断種は必要ない!
と世間に訴えるだけの勇気と気概があっただろうか・・・
きっと無かったと思います。
しかし、私たちはこうした「無知」の為に、
計り知れない程の苦しみ、悲しみ、悔しさ、憎しみ、寂しさ、絶望・・・・
そして、人間の暴力、冷たさ、誤り、過ち・・・
こうした経験をした人たちの「未来」に住む人間です。
ですから、決して同じ過ちを繰り返してはいけないのです。
彼らの為に!
新型コロナウイルスの蔓延により、
日本でも悲しい差別や偏見が生じているという情報を耳にしました。(具体的には記しません)
私を含め全ての皆さん。
正しい知識を身に着けましょう。ガセネタ、デマゴーグに十分注意しましょう。
そしてこの疫病を皆で克服し、明るい未来を作りましょう。
私たちには必ずできます。
今日は5月1日です。
令和の御代となって、ちょうど1年。
気持ちを新たに、良い一日をお過ごしください。
それでは今日はここまで。
最後までお読み頂きありがとうございます。