『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

私は「〇〇主義」です。

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

神主をやっていると、たまに聞かれる質問として・・・

 

「霊感とかあるんですか?」

 

みたいなことを聞かれることがあります。

基本的にいつも「ない」と答えているのですが、

「神主」というのは本来「神の声」を聴く人間の事を言いますから、

本当の意味で言えば、そうした力を持っていなければ「神主」とは言えないのかも知れません。

ただ、現代における神社・神道の場合は、「祭式」と呼ばれる作法を身に着け、それに則り祭典を奉仕するのが主たる役目ですから、こうした力がそもそも必要ない。

というわけでなのです。

 

しかし、本当にたまぁ~にですが、

例えば神主の集まりかなんかで、他社の神職と話をしていると、

「いずみさんってちょっとスピリチュアルな所がありますよね」

みたいなことを言われることがあるわけです。

 

要は神職たちがなんとなく作り上げている「神社・神道の枠」みたいなものがあって、ちょっとそこからはみ出たことを言うと、変人がられるということなのだと思いますが、当の本人は自分は「スピリチュアリスト」だとは実は全く思っていないのです。

 

しかしこのブログの一番最初の記事にも書きましたが、

すべては愛に満ちた「一つ」であった。それをより理解するために、「バラバラ」になっている。

という、明らかに普通の神職が言わないようなことを、手を変え品を変え、色んな表現を用いて語っています。でも基本は上記のマーカーを引いた「気づき」に基づいているのです。

 

ですから、その「気づき」に基づいた話を、年に数回くらいですが、神職の集まりの際、たまたま隣の席に座ったような人に話をすると、「いずみさんってちょっとスピリチュアルな所がありますよね」という感想を持たれるのだと思うのです。

 

では、私は一体「何主義」の人間なのか。と言いますと・・・・

 

「元型主義」(アーキタイピシズム)←あってるかな?英語得意な人教えて下さい。

 

だと思っています。

自分の思想をはっきりとカテゴライズさせるのは少し危険な所もあると思いますが、少なくとも私は「スピリチュアリスト」(霊媒主義者)ではありません。

またこうした方々を否定するつもりもありませんし、むしろそうした力を持つ人たちはかつては「巫(かんなぎ)」などと言って、とても大事にされた人たちですし、私も同じような態度で接しています。

 

しかし、私にこうした能力があるかどうかは別として(※)

私は日々の神社の奉仕から、毎日の暮らし、そしてブログなどのみなさんへの発信は、すべてこの「元型主義」に基づいて行っています。

もちろんこの「元型主義」というのは、私の造語です。

 

ではこの「元型主義」とは一体どうゆう主義なのかと言うと・・・

やはり

すべては愛に満ちた「一つ」であった。それをより理解するために、「バラバラ」になっている。

という世界観に基づく考え方なのです。

 

かなり前の記事ですが、こちら↓をお読み頂くともう少し「元型主義」をご理解いただけるかも知れまん。

ashinroad.hatenablog.com

 

 

それでは今日はここまで、

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

(※)実はちょっとだけあります^^