『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

〇〇神社の神社本庁離脱について

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

さて、実は触れようが触れまいか迷っていた事柄なのですが、

敢えて私の意見というか、感想を述べることにします。

つい先日香川県の「金刀比羅宮」という神社が神社本庁という組織を離脱したというニュースがありました。

四国で最も大きな神社と言ってよい神社が神社本庁を離脱したことで、一部で話題になっていました。

ただ・・・私はその時は反応しませんでした。

でも、その後に大切な友人から、「この件どう思う?」と連絡を頂き、私の考えを少し述べたのですが、一応このブログでももう少し詳しく語ろうと思ったわけです。

 

 

一般の方にはあまり馴染みがないと思いますが、

日本には「神社本庁」という包括宗教団体が存在します。

なんとなく「公的な機関」のような名前ですが全然違くて、「宗教法人」という民間の組織です。

明治~敗戦までの約80年間、神道は「国家の宗旨」と呼ばれ、特別な立場にありました。しかし日本が敗戦すると、神道と国の関係分離が行われたのです。

 

※但し、神道と国の関係の分離というのは、「国の制度」として分離したのであって、

そもそも神道と日本の関係を分離することはできないということは押さえて欲しいです。

 

話を戻すと、

そうした状況の中で、神道を宗教とすることによって、国との関係を断つことになったのです。そこで、それまであった神道系の3つの団体が集まって、今日の「神社本庁」という組織が成立しました。それが昭和21年2月3日の事です。

 

この組織はどんなことをしているかと言うと、

神宮(伊勢の神宮)をお支えし、

神職の養成、つまり神職の資格を与えたり、

各神社が新築や改築する許認可を与えたり、

或いは神道に関する様々な研究を推進したりなどなど、

つまり、要は主に事務的なことを行っている組織というわけです。

 

日本には約8万の神社がありますが、だいたいこの神社本庁に属しています。

ただ属していない神社もあって、例えば靖国神社は本庁には属していません。逆に本庁が靖国神社の崇敬会に入るという関係になっています。

或いは京都の一部の神社は、本庁ができた当初から本庁には属さず、独自の組織を作って活動をされておられます。

 

私はこの本庁に属する神社の神職ですので、

例えば「〇月〇日に△△祭を行って下さい」なんて通知があれば、その通りのお祭りを奉仕しますし、

今回のコロナでは、社務を自粛して下さいとか、社務所などで大勢集まらないでくださいなどの指示があったので、それに従いました。

 

これでお分かりの通り、

戦後の混乱期に、神社本庁という組織を作ったのは、

全国の神社がバラバラにならないようにするための一つの策だった。というわけです。

それに中には悪い神職もいますから、勝手に神社の土地を売ったり、貸したりしたり、或いはお札やお守りを通販したりするのもいます。また勝手に神職を名乗る人間も出てきます。「自由(まま)出家」ならぬ「自由神主」です。こうしたのを規制するにも神社本庁というのは必要な存在なのです。

 

しかし、これは同時に「神道界・神社界」という一つの既得権益を守るという目的を持つことになったのです。

昨今一部報道で神社本庁に対する批判が問題点の指摘がなされています。

私はこれら一つひとつを【詳細】に知りません。

ただ、これらの問題は、宗教的・信仰的・教学的・神学的な対立や問題ではなく、非常に世俗的な問題、つまり金銭的な問題であることが多いように思います。

 

そして、もう一つ・・・

 

誰も触れない事をここで申しますが、

上記で触れた世俗的な問題の金銭面とは別の問題として、

「個人的な怨恨」というものがあるのではないかと思っています。

つまり「あいつが嫌い」というやつです。

 

表には金銭的な問題が取沙汰されますが、それとは別にただ単に今TOPに居る人が嫌いだとか、担当者にムカついたとか、或いは中には父親や祖父の代に嫌がらせをされたとか・・・

こうした非常に「人間らしい」悲喜こもごもみたいなのが間違いなくあるだろう。

と私は思っていますし、漏れ聞きます^^

 

神社本庁という組織はすごく簡単に言ってしまうと、

全国の大きな神社の宮司さんが集まって、色んな役職についています。

ちょっと皮肉っぽくなりますが・・・

大きな会社の社長が集まって椅子取りゲームをしている感じです。

当然、派閥も恨みつらみも生まれます。どこだって同じなのです。

 

そして(ここからようやく私の思いを述べます)

 

「どうだっていい」

 

という感じになります。

私が神社の世界に入って、もう20年くらい経ちます。

その間にも、例えば明治神宮・日光東照宮・梨木神社・富岡八幡宮などの本庁離脱がありました。(明治神宮はその後戻っています)

しかしいずれも言ってしまえば「上の方」でごちゃごちゃやっていて、

私たち末端神職にはよくわからないのです。

だから先ほど私は、

「私はこれら一つひとつを【詳細】に知りません。」と、

わざわざ詳細の文字をすみ付きカッコでくくったのです。

そして、これらの影響をほとんど受けてもいないのです。

影響を受けているとすれば、こうした離脱した神社に奉仕している神職たちくらいでしょう。

 

もっと言えば、祀られている神様からしてみれば、

こんな人間のいざこざなんて「どうでもよく」て、

しっかり祭りを奉仕してくれ!って感じだと思います。

 

 

そして、最後に申しておきます。

これは別に本庁に対しての批判というわけではありません。

私たち神職がいよいよ考えないといけない問題なので、ここに提起したいのです。

 

神道・神社というのは、日本の伝統や古い価値観に基づいたものです。

そしてこの大切さを、今の世に訴えるのも大切な仕事の一つです。

しかし、神社本庁と今のこの体制というのは、まさにGHQの存在を恐れてできたものです。つまり私たち神職が作り上げているこの神道界・神社界というのはまさに「戦後レジーム」そのものなのです。

そんな「戦後レジーム」そのままに、いくら日本の伝統や古い価値観の大切さを訴えても、「響かない」はずです。

だって、戦後というのは、主に戦前の価値観を否定して作られた空間ですから。

 

しかし今コロナという大きな問題で、日本や世界は「変革」が求められています。

この機会に、自分たちはどんな姿、つまり「神道らしさ」とはどんな形なのかを考えるべきなのです。

このブログを神職が見ているかどうかわかりませんが、是非それぞれでこの課題に取り組みましょう。それが素晴らしい日本を後世につなげる礎になります。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。