『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

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主にこのブログの内容を元に、私が話し言葉でみなさんにお伝えするという感じです。

2回UPして気づいたのですが、「・・・・ね。」という話し方が多いです。

今後改善していきます・・・。

あと、動画編集を習ったパソコン教室の先生から、意外と「音」を出さずに画面を見ながら内容を把握する人が多いというアドバイスを頂いたので、基本的に全て字幕を入れていくようにしていきます。

みなさま、こちらのブログと合わせ、ユーチューブチャンネルの方もよろしくお願い致します。

 

 

 

さて

(´-`).。oO(はぁこれもホントに『遺言』になるなぁ~)

と意味深な感じで始めますが・・・

 

人間が生活していれば、当然色んな「利害」がぶつかります。

利害どころか、単なる「私怨」もあるでしょう。

社会を築いて発展してきた私たち人間は、普段の生活の中で、

こうしたある種ドロドロしたものを大なり小なり抱えて生きているわけです。

それは国や地域、人種や民族に関係なく同じことが言えるはずです。

ですから、私たち人間は常に争ってきたのだと思います。

 

例えば中国で言えば、

中国大陸という広大なエリアに、力のある者が出現し、その人が国を作るわけです。

「楊堅」という人が、「隋」という国を作り、

その「隋」という国を、「李淵」という人が滅ぼして「唐」という国を作り・・・・

時代は下って、

「孫文」という人が「清」を滅ぼして「中華民国」という国を作り、

「袁世凱」という人に乗っ取られて、それを「蒋介石」という人が引き継ぎ、

やがて「毛沢東」という人が現れ覇権を争い「中華人民共和国」という国ができる・・・

 

私たち日本人からしてみると、豊臣と徳川が争ったいたのと同じように思えますが、

それとは本質的に異なり、「隋」も「唐」「中華民国」も「中華人民共和国」も、全然違う「国」なのです。

 

もちろん日本も遠い昔から、争いを繰り返してきました。

文化や感覚の根っ子は同じでも、生活様式や信仰的表現が異なる人々を、

力の強い集団が飲み込み、その際血が流れることもありました。

或いは戦国群雄割拠の時代に、日本人同士で殺し合い、奪い合い、騙し合ったこともありました。

そして、その覇者がその力を持って、この国を治め、また新たな力がある者が現れ、その地位を取って代わられたわけです。

 

しかし、我が国では、例えば、

鎌倉時代(鎌倉幕府)とは言っても、「鎌倉国」とか「源国」とは言いません。

室町時代(室町幕府)とは言っても、「室町国」とか「足利国」とは言いません。

以降も全て同じです。

ず~っと「日の本」、つまり「日本」であり、

時の覇者が統治していた時代は、「出来事」の一つなのです。

 

 

もうお気づきの通り、私たち日本人は、

「天皇」という存在を置いたことによって、

覇権を争うことはあっても、その覇者が「国」を作るという発想に至らなかったのです。

ですから、私たちは常に日本に住む日本人であり続けることが可能となったのです。

驚かれるかも知れませんが、「国」と「国」とが争い、

負けた側の指導者のみならず、

その国民は、男は皆殺しか奴隷、女は戦利品。

これが世界の【【【【 常識 】】】】なのです。

もっと言えば、これが人間としてのありのままの姿なのかも知れません。

 

もし日本に天皇という存在がなく、外国と同じようなやり方を取っていれば、

例えば、徳川家康の出身地である「三河」(今の愛知県の一部)の人たちが、

周囲の人々を皆殺しにしていき、やがて日本中に住む人たちが「三河」のDNAを持つ人になっていたかも知れません。或いは私のような相模の人は、三河の人の奴隷となり、主人が寝ている横に立って「団扇をあおぐ係」になっていたかも知れません。

 

しかし日本はそうはしなかった。

世界とは別の生き方を選んだ、本当に稀有な民族なのです。

普段の生活では争いや揉めごともある、

しかし「天皇だけは尊いよね。」

という共通の認識を持っていたから、外国のような生き方をしなかったのです。

 

どこかの神主が、イギリスの国王と同じで、日本の天皇は

「統治すれども君臨せず」

とか言っていましたが、敢えて厳しめに言いますが、全くの誤りです。

日本の天皇は「知らす」存在です。

「知らす」とは「見ている(ご覧になっている)」という意味です。

日本の国の中で、国民同士がどんなことをしているのかを、

ご覧になっているのが、まさに天皇のお姿なのです。

つまりどっちにも「与しない」ということです。

(逆に人間だから、それを完璧にできないのであり、さらにその理想に近づこうとするのも人間の営みなのです)

 

 

そして、この視点の範囲を小さくして考えると・・・・

「神社だけは尊いよね」

「お祭りだけはみんな好きだよね」

という共通認識というものがあります。(例外を除いて)

近隣の住民同士であれば、利害や私怨は当然あるでしょう。

しかし、上記の共通認識があるから、人々は普段の生活を送ることができるのです。

「神社」という存在が地域にあるからこそ、

「祭り」という行事が地域にあるからこそ、

この空間だけは、その争いを一旦置いておこう。ということができたのです。

つまりそうした「安定点」があるからこそ、普段の生活が送れるというわけです。

 

ですから、神社そしてそれに直接関わる私たち神主というのは、

なるべく、地域の人々の利害や私怨に関わるようなことに、

近づいたり、煽ったり、与したりしてはいけない。ということです。

天皇が絶対的中立点であり続けようとしているのだから、

地域の神社も同じように、そうあり続けようと努めるべきなのです。

だから私は「鎮座」という言葉が好きなのです。

「そこに黙ってお鎮まりになる」という、

まさに「知らす」に似た、静謐な言葉の雰囲気を感じ取れるからです。

 

なかなかそうも言っていられない、というものあるでしょうが、

少なくも神社とはそういう存在であるということだけでも意識したい。

私は強くそう思います。

 

 

 

なんだか今日は、心の叫びみたいな投稿になっちゃいましたね。

何かお感じになることがあったでしょうか?

それでは今日はこの辺で、

最後までお読み頂き、ありがとうございます。