広島忌(第一話 原爆と武士道)
みなさんこんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
今日は8月6日
広島に原爆が投下された日ですね。
亡くなられた全て皆さまの御霊に対し、哀悼の誠を捧げます。
今日は私の原爆に対する考えを述べたいと思います。
恐らくかなり他の人と言う事が違うのと思うので、
ご興味のある方のみでお願いします。
私は自分ではそう思っていないのですが、
私の事を保守的とか、中には右翼と評される人がいます。
まぁこうしたレッテルはどうでもいいのですが、
いわゆる世の保守層や右翼思想と呼ばれる人たちには、
「核武装論者」が多いと言われています。
今の東アジアに限らず、世界情勢に鑑み、日本も早く核を保有し、
「モノ言える国家」にならないといけない!みたいに思う気持ちもよくわかります。
そしてその考えも尊重します。
しかし意外?かも知れませんが、私は「核武装論者」ではありません。
日本には核は必要だと思わないのです。
その理由はたくさんあるのですが、
一番の理由が
「武士道」に反するからです。
実は前回の記事である、
↑コレはこの記事の前振りみたいな感じでした。
私は明らかにこの「原爆の思想」と「武士道」は相容れないものだと思っています。
これも意外に思う方がいるかも知れませんが、
「戦争」にはルールがあります。
これは先の大戦後より遥か前に、オランダのハーグという場所に、
多くの国の代表が集まって、戦争をする際の様々なルールが決められたのです。
もちろん私はこうした国際法の専門家でもなんてもありませんが、
その内容をの一つを取り上げて、簡単に説明すると・・・
戦争は「軍隊」と「軍隊」が行うものである。という決まり事があるのです。
当たり前だろ!と思うかも知れませんが、
これをちゃんと定義したのはとても重要なことでした。
もしこれがなければ、銃をもった兵士が武器を持っていない民間人を殺しても良いということになってしまうからです。
戦争とは武器を持つ同士が戦うという大原則がここで決められたのです。
つまり、放った鉄砲の弾は、敵兵に向かわなければならないのです。
或いは爆弾を落とす先は、軍艦や軍施設でなければならないというわけです。
「兵器」というのは、この原則に基づいて開発されます。
しかし・・・
「原子爆弾」は、そこにいる全員を殺す為に開発された兵器です。
つまり、武器を持っている人だろうが、持っていない人だろうが、
兵士だろうが、民間人だろうが、さっき生まれた赤ちゃんだろうが、入院中のお年寄りだろうが、川で魚獲りとしていた子供だろうが、勉強中の学生さんだろうが、洗濯中のご婦人だろうが・・・
とにかく誰であろうが、そこにいる人間は皆殺しにします。
というのが、「原子爆弾の思想」なのです。
はい、コレ・・・・
日本人がやる事ですか??
例えば外国で言えば、
都市と都市が戦えば、負けた側の兵士は皆殺し、女は戦利品、民間人は全員奴隷です。
お隣中国では「屠城(とじょう)」と言って、戦いに負けた側の人々は、軍人どころが民間人女子供に関係なく、全てを殺していました。
私たち日本人も、長い歴史の中で日本人同士で殺し合ってきた過去があります。
しかし、基本的に日本の「戦(いくさ)」というのは、武器を持つ武士同士が行いました。武器を持たない農民は、山などに避難して、戦が終わるのをじっと待っていたのです。ましてや武士は女子供に手を掛けるなど、「名折れ」と忌み嫌いました。
外国とひとくくりにしてはいけいないことは良くわかっていますし、
別にそうした歴史があるからと言って何か批難しているわけではありません。
しかし日本にはそういう歴史が極端に少ないということです。
それは取りも直さず、日本人が「武士道」という人間の生き方を、
長い年月をかけて磨き続けた結果だと私は思います。
そんな祖先に無言の裡に、こうして見守られる私たちが、
「原子爆弾」を持つというのは、
私はできない・・・
そう思うのです。
・・・・非核三原則というものがあります。
「持たず」「作らず」「持ち込ませず」
しかしこれはウソで、実は「四原則」ですね。
「持たず」「作らず」「持ち込ませず」「議論せず」
現代社会において、私たち日本人はこの核を議論することもタブーとされています。
しかし・・・
人間の心というものは変わります。
鬼畜米英が、数か月後にはギブミーチョコレートなんですから。
昨日の正義が、今日の不正義なんていくらだってあるのです。
ということは、
これから先、日本人が何かをきっかけに、
「核武装すべし!」となるかも知れません。
今は考えられないかも知れませんが、いくらだってこういうことになるのです。
ではその時・・・・
「日本は核武装すべきではない」と、今ほざいているこの私はどういうお話をするべきなのでしょうか??
そのお話は、次回に譲りたいと思います。
日本が核武装をすることになった時、
私から「一つの提案」があるのです。
ご興味があれば、引き続きお読みください。
今日はここまで、最後までお読みいただき、
ありがとうございます。