おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
YOROSOIというSNSに投稿しただけで、ここには書いていなかったのですが、
「嫌いな人の正体」というお話があります。
私は「私は弱い」という自身の特性を嫌って生きてきました。
すると同じように「私は弱い」という自身の特性を嫌っている人と出会うと、
お互いが持ってる「私は弱い」という部分に「反応しあい」ます。
これが「嫌いな人の正体」です。つまり自分の中にある「自分を嫌う心」が相手の中にあるということなわけです。
話が急に飛びますが・・・
先般愛知県で芸術祭?のようなものが開催され、
その出展内容があまりにひどいということで、色々話題になっていました。
天皇陛下の御写真(しかも既に崩御されている昭和天皇)を燃やしてそれを踏みつけたり、
間抜けな日本人の墓と題された特攻隊を思わせる作品があったり・・・
こうした「現象」はほんの一部なはずです。
日本をとことん嫌う人というのが世の中にはいますが、
いくら嫌いとは言え、例えば死者への冒涜とか国旗などの象徴的なもの対する侮辱というのは、人としてやってはいけないだろう・・・と思います。
まぁ日本が嫌いなんだから何やったっていいだろう、というのもあるのかも知れませんし、もちろん中には戦略的というか、分かってやっている場合もあると思います。
ただ批判の仕方というのも、「一線」というのがあって、それを越えてしまうと、批判している方のいわゆる人格というものが疑われるようになると思うのです。
んで・・・・
先日実家に帰った際に、
コロナで外出自粛だったので、家の掃除を一生懸命していた母親が、私の子供の頃の写真も整理したということで、わざわざ私の所まで持ってきて見せてきました。
そして「まだこれをどうするかわからないからあなた見て。」と言われて、写真の束を渡されました。
小学校から大学生くらいまでの間に撮った集合写真の束だったのですが・・・
その中の一枚の確か小学2年生のクラスの集合写真を見て目が止まりました。
嫌いで嫌いで仕方なかったクラスメイトの男の子の顔を何かでひっかいて消していたのです。
その時、なんとなくあの愛知トリエンナーレの事を思い出し、
「私だって同じことをしてるじゃん・・・」と思ったのです。
いくら私的なものでも、こうやって後に残る写真に、嫌いな人の顔を消すなんて・・・
と思って、自分の人格を疑ったの・で・す・が・・・・
実はその続きがあって、
その写真に写っているもう一人の人物の顔にもバツが付けられていたのです。
はい・・・
その人物は「私」でした。
私は本当に「私」が嫌いだったんだなァ~とつくづく感じました。
正確に言えば私は私の弱い部分が、
この人生において様々な不都合の素である事実に、
怒り、悲しみ、苦しみ、許せなかったんだと思いました。
僅か小学2年生の時に既にそんな苦しみを抱えていたことを知ったのです。
写真に傷をつけるという行為は、今でもやるべき行為ではないと思います。
しかし「自分を嫌う心」をどうすることもできなかったというのも認めます。
あの写真はそれを教えてくれたというわけです。
みなさんは、そんな経験ありますでしょうか?
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。