あ!自己中でいいんだ!
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
すご~く時期っぱずれなお話で恐縮なのですが・・・
私が奉仕する神社では、やはり忙しいのは正月と例祭です。
今日はそのお正月のことについてのお話なのですが、
新年はたくさんの参拝者がいらっしゃいます。
それに加えて神社の手伝いもたくさん来ます。
このお手伝いの方は「授与所」と言って、
みなさんがお守りやお札を受けに来られる所で対応してもらっています。
私はというと、神主ですから、一日中ご祈祷をしていて、神社と社務所を往復しています。お正月の私の第一の奉仕はコレなわけです。
しかし・・・
授与所だけではなく、あらゆることが気になります。
お札やお守りを間違えて渡していないか。
御朱印帳を取り違えていないか。
手伝いの人は休憩をとっているのか。
お焚き上げの火が消えているんじゃないか。
とかもう・・・あっちこっちが気になって仕方ないのです。
もともと宮司と私ともう一人しかいない神社なので、
一つの事だけやっていればいいというわけではないのもあるのですが、
お正月はお手伝いがいるのに、なんでもかんでも気になるのです。
そして、心身はボロボロ・・・
毎年正月はとにかく心底疲れて、どうしようもない。
と言った感じでした。
しかし、自分の心と向き合うようになった34歳くらいの年末に、
ある日突然「気づき」があったのです。
「あ・・・自己中でいいんだ」って・・・・
今まであまりにも色んなことに神経を尖らせて、敏感になりまくっていたけど、
鈍感でいいんだな。って思ったのです。
つまり、私は私の仕事であるご祈祷のことだけ考えていればいいという当たり前の事にようやく気付いたのです。
この気づきのお陰で、正月の奉仕が本当に楽になりました。
ではこの「気づき」を得る前の私を少し分析してみると、
まず「境界」がないのです。
全てが自分の事として捉えてしまっていたというわけです。
あっちで起きていることも、こっちで起きていることも、
自分の事なので、自らの手で解決するべきという思い込みがあったので、
あらゆることが気になり、これらをコントロールしようと腐心していたのです。
しかし当然そんなことできるわけがありません。
ですから極度の疲労、判断ミス、やるべき事がおろそかになる。
という結果として返ってきたのです。
そしてもう一つ(これが一番ですが)
「他人からの評価」です。
人からどう思われているかが気になって仕方ないのです。
「境界」がありませんから、自分の周囲で起こる現象はすべて私事だと思い込んでいます。ですからこれらをちゃんとコントロールしていないと、自分はダメな人間だという烙印を捺される恐怖と常に共にいるのです。
つまり一言で言ってしまうと、
私のような人間は・・・
「私は私」
という普通の人(多数派)が持っている感覚を、
その成育過程において、身に付けることができなかった。というわけなのです。
ですから、上記のような現象が起こってしまうのです。
どのユーチューバーかは申しませんし、
そのユーチューバーの影響を受けたと思われる別の方の発信の中で、
『バ〇はカオスの中に放り込むと正体がバレる』
と言った内容の動画があったのですが、
確かになすべき事の優先順位をキチンと付けられるかどうかで、
仕事の効率や結果にも差がでることは間違いありません。
しかしこれを一言で「バ〇」とひとくくりにしてしまうのは、
人間の可能性を否定してしまうと私は思います。
こうした状態にある人は「能力」の高い低いを論う以前に、
「私」が曖昧だから、
十分な能力が発揮できていない。と言えると思います。
世間では己の我欲を他者に押し付けるというネガティブな意味で「自己中」という言葉を用いますし、その通りだと思います。
しかし、今回のお話は「私は私」という「気づき」から得られる、「自己中」であり、かなり意味合いが異なるのです。
そして、後者の「自己中」によって、
「私」というものを見つめ、他者との境界をハッキリさせ、他人の評価という無駄なモノをを排することによって、「私」がするべきことが明確になります。
私の話で言えば、正月の神社における自分のなすべきことに集中することができるようになるということです。
そうすることで、初めて「他者」という自分とは別の存在も見えるようになり、余裕があれば、力を貸す事もできるだろうし、手を貸さないという判断もできるだろうし、他の選択肢も見えてくるというわけです。
一人ひとりの「能力」なんてものは実はたかが知れていますから、
やはり、私としては徹底的に「私」を見つめることによって、
(すこし曖昧な言い方になりますが)「世界」が開け「視野」が広がるのだと思うのです。
それを世間では「能力」と呼んでいるように思います。
今日は友人のツイートをきっかけに、そんなことを考えてみました。
何かの参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ではまた。