『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

神社の奉仕は「商売」ではありません。

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

さて

「最近、御朱印帳に直接書いていただける神社が減ったので、御朱印帳を持ち歩かなくなりました」

 

という参拝者の声を聞くようになりました。

もちろん御朱印を集めていらっしゃる方全員に聞いたわけではありませんが、

確かにこういう感想をお持ちの方も出てきたということです。

 

ご奉仕している人が少ない神社では、御朱印の対応に苦慮している所もあるでしょうし、私が奉仕している神社も確かにその部類です。

しかしその中でもなんとかやっていたり、時間や曜日で区切ったり、最初から御朱印がないことを伝えている神社もあって、それはそれで全然問題ないと思います。

 

しかし、神社によっては、散々宣伝した結果、キャパシティーオーバーして、

結局今まで手書きだったのを、ハンコにしてみたり、書置きのみにしてみたりと、

簡単に言ってしまえば「雑」になっていく神社も存在するのです。

だから上記のような人も現れてきたのです。

そして、最終的には「ありがたみ」みたいなものがなくなり、

神社に対して、人の心が離れていくのだと思います。

 

 

アレ??

 

これ「神前結婚式」にそっくりじゃないですか??

神社の境内に建てた「ナントか会館」で、一日何件も結婚式を流れ作業でやったり。

或いはあっちこっちのホテルと契約して、10分祝詞を読んだら次の部屋の結婚式場に移動して、やっていた神社もあったはずです。

これらがいわゆる神社神道の神社とは限らず、教派神道でもやっていましたが、いずれにせよ同じ神道です。

 

そんなことやっていたからどうなりましたか??

チャペルが主流になったんです。

確かに成人式は和装だから、結婚式はドレスがいいという女性が増えたのも理由としてはあるでしょうし、他にも色々あるでしょう。

人口が減ったとか、単純に選択肢が増えたとか・・・

でも、ちゃんと結婚の意義を伝え、それを理解してもらおうと努力していれば、こんなことにはならなかったと私は断言します。

つまり、誰かの・何かのせいじゃなくて、自分たちに問題が大なり小なりあったでしょ?と私は言いたのです。

 

そして今、ウエディング業界などと手を組んで、「和婚」だとかなんだとか言葉を変えたり、ドレスでも神前は可能ですと言ってみたりして、再びの神前結婚式がプチブームのような感じになってきています。

これがこの先どうなるか、注視しなければなりませんね。

 

そして、次は「葬式」や「墓地」でしょう。

実はこれが私の専門なのですが、神道の墓地は年々増加しています。

今全国で100近くありますが、まだ増えると思います。

もちろん神道教化のために墓地を設置するというのは宗教活動として全く問題がありません。

しかし、宗教を問わない墓地や、神社境内に厨子付きの納骨堂のようなものが現れており、明らかに神道の信仰とは相いれないものもあるのです。

 

なぜ、こうした問題が起こるのでしょう?

その答えは単純です。

神社によって格差があるからです。

急に共産主義みたいなことを言い出しますが、

神社には格差があってはいけないのです。

神社の規模によって、必要な予算があてがわれ、

奉仕の停滞があってはいけないし、

神社の奉仕を商売と勘違いする神職をなくすためにも、

「独立採算制」はよくないのです。

今の神社界では絶対に受け入れられない主張だと思いますが、

私は死ぬまでこれを訴えていきます。

 

このブログを神職が読んでいらっしゃるかはわかりませんが、

考えるきっかけになさっていただけると幸いです。

それでは今日はここまで、最後までお読みいただき、ありがとうございます。