『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

みなさんは「スタートライン」についていますか?

 

みなさん、こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

さて

今日は簡潔ではありますが、とても重要なことです。

 

勉強ができないからと言って・・・

お金がないからと言って・・・

運動ができないからと言って・・・

家柄が悪いからと言って・・・

男だからと言って・・・

女だからと言って・・・

この地域に生まれたからと言って・・・

日本人だからと言って・・・

外国人だからと言って・・・

心身にハンデを負っているからと言って・・・

容姿が悪いからと言って・・・

子供だからと言って・・・

みんなと違うからと言って・・・

アレを持っていない、コレを持っていないからと言って・・・

犯罪を犯したからと言って・・・

ホームレスだからと言って・・・

好きなものが変わっているからと言って・・・

病気だからと言って・・・

何かの分野に劣っているからと言って・・・

 云々

 

人をバカにする理由にはなりません。 

なぜだと思いますか?答えは簡単です。

 

この世の中に、「バカにするべき人間」が一人たりとも存在しないからです。

 

 

 

 

 

上記の「〇〇だからと言って」というのは自分や周囲と比べることによって、

何か劣っていると思った結果、それをバカにしたくなるのだと思います。

しかし私が何度も申しております通り、

「命」そのものが、最高で完璧な価値そのものなのです。 

だから「バカにするべき人間」なんて誰一人いないのです。

「当たり前」なこと過ぎて、ついつい忘れてしまうことなので、やはり繰り返し確認しておきたいコトだと思います。

 

しかし中にはこれとは別の角度で人をバカにしてしまう人がいます。

それが

「一生懸命やっている人をバカにする」というものです。

上記の「〇〇だからと言ってバカにする」とは少し意味が違ってきますが、

なぜこうなるのかも答えはシンプルです。

 

「一生懸命やっている人をバカにする人」は「ご自分をバカにしているのです」

 

日ごろ、ご自分をバカにしている(ご自分の価値に気付いていない)から、一生懸命何かに打ち込んでいる人の姿を見て、

 

「俺が何をやってもダメだんだから、あいつだってダメに違いない」

「あいつのやっていることは無駄なことなんだ」

 

とご自分に言い聞かせているだけなのです。

繰り返しします、

この世の中に、「バカにするべき人間」は一人たりとも存在しません。

つまり、「一生懸命やっている人をバカにする人」も「バカにするべき人間」ではないということです。

 

 

ご自分の「命」という奇跡に気付きましょう。

社会的な成功や幸福は誰しも望むものですし、大いに望んでいいものです。

私だって同じです。

でも!その前に「私は今生きている」という、これ以上にない価値を認めましょう。

そうでなければ、いくら社会的に成功したと言っても、本当の成功とは言えないのです。

 

「今、私は存在している」という奇跡に気づきましょう。

それに気づけば、自他をバカにするなんで絶対にできません。

 

まさにこれが、「スタートライン」につく。ということです。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。