『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

物事の目的を忘れない

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

さて

神社に奉仕していると、結構な頻度で、テレビや雑誌などの取材を受けることがあります。

もちろん神社にもよると思いますが、私が奉仕する神社は多いのです。

電話やメールだけで済むものもありますし、直接神社へ来て取材を受け、

質問に答えたり、神社を案内することもあります。

 

神社や地域、お祭りに関することについての取材については対応できる範囲であればちゃんと協力しているのですが、お断りするものもあります。

 

それが・・・

「背景」(バック)としての使用です。

 

例えばドラマのロケ地としてとか、

雑誌モデルを境内に立たせてそのバックとして神社を使うとか、

CMの素材として使わして欲しいとか・・・

こういう依頼に応えている神社も確かに存在しますが、

当社は昔からお断りしていますし、私自身もまず許可しません。

 

「ケチ~」と思わるかも知れませんが、許可していないのです。

神社は「祭祀の場」という第一の「目的」があります。

それに付随して、神様の御神徳(神様の恵み)をたくさんの人に分かつという「目的」があります。

神社や地域などを紹介するという目的を持った取材であれば、この神社の目的とも合致しますので、お引き受けできますが、

やはりただの背景として利用するというのは、どうしても神社の目的とは相いれないと思うのです。

 

で!!!!

この時期になると、こんな電話がかかってくることがあります。

(と言っても1~2回くらいですかねぇ)

 

「ウチの子供が今年七五三なので、そちらに伺って写真を撮りたいんですけど、いいですか?」と・・・・

 

ご祈祷を受ける・受けないというのは、そのご家族のお考えですから、

神社からご祈祷を受けて下さいとは言えません。

しかしこうした問い合わせは、

 

子供が七五三なので、晴れ着を着せて、神社を「背景」に写真を撮りたい。

 

という気持ちが前面に出ているのをヒシと感じるわけです。

つまり、雑誌の背景とかドラマのロケ地として神社を使わせて欲しいというご依頼とほぼ同じということです。

 

とは言え、「ダメです」とは言えませんので、

一呼吸置いて、

「神社はお参りをする場所ですから、ご祈祷を受ける、受けないはお任せいたしますが、まずは神社にお参りをして頂き、その後境内で写真をお撮り頂く分には問題ございません」

と言うようにしています。

 

やはり「目的」を違えるというのが、何においてもその後のトラブルというか、失敗の原因になると私は思います。

七五三というのは、子供の成長を祝い、神様に感謝をし、加護を願う。というのが目的です。

しかし中には、それが二の次三の次になって、

子供に晴れ着を着せて、色んな所で写真を撮って、家族親族で集まって食事をする。というのが目的となってしまっている人も正直結構いるのです。

その色んな所の一つが神社というわけです。

 

まぁこんなこと、学校でも塾でも教わることではないので、仕方ないのかも知れません。

もちろん神社・神社界側の教化不足というのもあるでしょう。

こうした七五三などの人生儀礼の意義(目的)などを、

肩ひじ張らずにそれぞれの家庭に取り入れてもらう方法を私も色々考えていて、

まだ秘密ですが、実はこれは良いアイデアだ!というものを既に持っているので、

時節を見計らって実行に移したいと思っています。

やることたくさんありますねぇ。

 

 

 

それでは今日はここまで、

最後までお読み頂き、ありがとうございます。