おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
6日・7日と感染症予防に注意しながら、旅に出ていました。
行先は和歌山県の熊野、帰りに伊勢。
超弾丸旅行でしたが、とても内容の濃い旅でした。
全国に「熊野神社」という名前の神社がたくさんありますが、
今回訪れた熊野が発祥とされています。
「熊野」とは「奥まった処」という意味なんだそうで、
はい、その名の通りたどり着くまでに相当時間がかかりました。
この地には
熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を中心に数々の寺社仏閣があります。
というのも、この地は神話の時代から「常世国」への入り口と考えられていたようですので、宗教文化が盛んになったのだと思われます。
それにしても遠かったです。
名古屋から車で行きましたが、遠くてちょっとびっくりしました。
まぁ常世国への入り口ですから、そう簡単に行けないのも当然です。
ただ終始天気が良く、上の写真の通り、熊野那智大社はかなり標高の高い場所に鎮座しているのですが、空の上にいるような感じさえしました。
ちなみにその写真の後ろ姿・・・私です^^
三つの熊野大社をお参りして、伊勢に向かいました。
前回伊勢に行った際にも泊まった宿で一泊です。
次の日は早朝5時に起きて外宮・内宮をお参りしました。
伊勢の神宮のお参りはホント、早朝に限ります。
誰もいない薄暗い境内に、玉砂利を踏む自分の足音が響きます。
是非伊勢にお越しの際は、早朝の参拝をお勧めします。
外宮・内宮を参拝した後は、ホテルに戻って朝食と小休止、
こちらの神様は天照大御神の弟神で月の神様ですね。
昔(って20年くらい前かなぁ)はこのお宮を参拝する人はすごく少なかったですが、
志の有る方が増えたお陰で、参拝者も増えました。神様もお喜びの事でしょう。
次に内宮の門前町である「おかげ横丁」「おはらい町」にて昼食・買物。
実はここ、昔は「日本一滞在時間が短い観光地」と言われていました。
五十鈴川に沿って縦長にお土産等が立ち並ぶ街なのですが、
内宮の駐車場は鳥居のすぐ隣にあるので、昔は参拝したらこの街に寄らず、
すぐに車やバスに乗って帰ってしまっていたのです。
この状況をなんとか打破したいということで、
赤福という有名店が中心となって皆に呼びかけ、
街全体をもっと魅力のある街にしよという運動になったわけです。
道路の舗装を石畳にしたり、それぞれの店の外観を昔風にしてみたり、
ただ買物をするだけではなく、昔にタイムスリップしたような街並みにしたわけです。
それが功を奏して今では本当にものすごいたくさんの人がこの街に足を運んでいます。
内宮参拝に合わせて、この街を散策することが、参拝者の楽しみの一つになっています。
この街を整備するにあたり「おかげ横丁」というエリアができたのですが、この街の名前にある「おかげ」というのは、「神宮様のお陰」という意味です。
神様のお陰で商売をさせてもっているという商人たちの謙虚な姿勢がそのまま表現されています。
この街の散策を終えて、今度は松坂まで。
ここには、
という読むのが大変な神社が二社鎮座しています。
鋭い方はお気づきの通り、「機織り」の神様をお祀りした神社です。
この地域は古代から紡績に関係する一族が住んでいて、今でもその末裔が暮らしています。
なんと今回お参りに行ったら、ちょうど今月行われる「神御衣祭」(かんみそさい)という重要なお祭りの際に神様にお供えする織物を織っている真っ最中でした。
全然知らなかったのでびっくりしました。
白い装束を着た地元の方が、機殿という建物の中でパタパタと機織りをしていました。
神麻読機殿神社では麻織物を、神服部機殿神社では絹織物を織っています。
ありがたいことに、神宮の神主さんに色々とご解説まで頂戴して、学びを深めることができました。
特に印象的だったのが、機織り中、機殿に榊を立てているのは、機織りの神様をお呼びして、「機を織らしめている」と思うとおっしゃっていたところです。
つまり、機織りの神様が機織り期間中にやってきて、人間を通じて機織りをさせている。という意味です。もっと言ってしまえば「のりうつる」と言った感じです。
機織りに限らず、物を作ったりすることを、昔の人は「神聖視」していたんだと感じました。
超弾丸、熊野・伊勢旅行でしたが、本当に充実していました。
皆様も感染症に気を付けて、機会を見つけて足を運んでみて下さい。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。