おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
コロナは色んな所に影響を及ぼしていますが、
神社も例外ではなく、お祭りの規模が縮小になったりしています。
また参拝者の数も以前と比べてグッと減りました。
これから七五三・お正月とあるので、いつもとは違う感じになるのかなぁと思っています。
コロナ以前は個人で来られる参拝者と合わせて、団体の参拝者もよくいらしてました。
ツアーのようにガイドを伴って、少人数から大人数の団体が、ゾロゾロと連れ立って神社へくるのです。
地域の寺社仏閣・旧所名跡を歩いて巡るみたいな企画なんだと思います。
で!!
受付に座っている私から、この団体を連れて色々と案内されているガイドの話がよく聞こえます。
神社の創建や歴史、こういうご利益があって、お祭りはこんな感じみたいな話をなさっています。
しかし・・・正直言って「なんか変」という場合がほとんどです。
それは一概には言えませんが、例えば使用する用語が微妙に違ったり、やたらと脚色されていたり、肝心なことが抜けていたり・・・
中には明らかにこの人(ガイド)の想像(ファンタジー)が混じっているだろう!と思うものさえあります。
また「ウィキペディアをそのまま言っているな」みたいなのだらけで、
公式のホームページにはそんな事一言も触れてないんだけど・・・という感じです。
それもそのはずで、私はこの神社に15年いますが、
「今度ツアーで団体を連れて、こういう神社の説明をする予定でいますが、原稿を見てもらっていいですか?」
と事前確認をしてきたガイドさんは「だたの一人」もいませんでした。誇張ではなく本当に一人もいません。
事前確認があっても「御朱印はありますか?」「御朱印〇人分用意しておいて下さい」ばかりです。
確か2回程、「団体を連れてくるので、5分くらい神社の説明を直接して下さい」という依頼があったので、致したことはありますが、本当にごくごく僅かにそういう依頼が過去にあっただけです。
私個人としては、こういう企画をなさる方に対して、
各神社庁単位で「研修会」のようなものを開催し、
神社の案内する上での最低限のマナーや用語の確認などをしてもらうのが好いと思っています。(その前にガイドラインをこちらが決める必要もありますけど)
というのも・・・
ちょっとだんだん恐ろしい話になっていきますが・・・
実は私が奉仕する神社の境内にはある皇族がお書きになった文字があります。
目を引くところにあるので、ツアーガイドのほとんどがこの事について触れます。
そこにはその皇族の御名(ご署名)があるのですが、
例えばそのお方の御名が「東京宮丸仁親王」だったとします。
普通であれば、「とうきょうのみやまるひとしんのうがお書きになったものです」と説明すればいいわけですが、
ある特定の団体のガイドはこれを、
「東京丸仁(とうきょうまるひと)が書いたものです。」
となぜか「宮号」と「身位」をわざわざ省いて説明するのです。
そしてこの特定の団体は何班にもわけて団体を引き連れ、この団体のガイドは皆同じような説明をするのです。(恐らくマニュアルがあるのでしょう)
こんな敬意を欠くような説明をされるのは大変困りますし、
名前は伏せますが、政治的イデオロギーに深く浸かる教育分野に関わる団体も全く同じことをしています。
神社や思想に関わりなく、目の前にあるものをそのまま伝えるのがガイドの役目でしょうから、こうした事実の歪曲は本当に辞めて欲しいわけです。
ちなみにこの教育分野に関わる団体はある皇族が亡くなった時、この皇族が亡くなって「ある意味良かったと思う人もいる」という信じられない内容の談話を発表していました。(もう削除していますけど)人の死を悼むことにイデオロギーなんて関係ないはずです。
少し脱線しましたが、
こうしたガイドも私は「工作」だと思っています。
神社や歴史を学びたいという純粋な心を持った人たちに、意図的に用語を変えたり、重要なことを省いたりして伝えなくすることで、簡単に言えば「嘘を誠」にしようとしているのです。
ですから、私はこうした外国の工作活動を防止するためにも、神社庁単位でガイドの研修をするべきだと言っているのです。
はっきり言って、工作活動はあの手この手です。
みなさんが気づいていない所でどんどん進行中です。
そして・・・非常にショッキングな事を言いますが、
もう「完了」しています。
この国は既に外国勢力の工作活動が完了しているのです。
思ったよりも早く完了したと相手は思っています。
それだけ日本人が日本という「大きな私」に興味を失ったからです。
戦後75年間で日本人は個々の「小さな私」に興味を集中させていったのです。
「大きな私」に興味を持つと、戦争になる、戦争がしたいのか!
「大きな私」を大事にするやつは、右翼だ、歴史修正主義者だ、差別主義者だ!
とレッテルを貼りながら・・・
その間にまさに野火の如く、外国の工作活動が広がり、この国を今覆っています。
政界・財界・官界・学界・法曹界・教育界・メディア・自衛隊・芸能界・宗教界・・・
あらゆるジャンルでの工作活動はもう完了しているのです。
先ずはそれを自覚しないといけません。
でも絶対に絶望しないでください。
日本人と、日本と言う国土、そして天皇。
この3つがある限り日本はいつでも復活できます。
大東亜戦争に負け、敗戦国になり、主権を失い、今でも主権なんか持っていない日本ですが、それでも皇室だけは残しました。
それは当時の指導者たちが、後の日本の復活に期待したからです。
国体のうちの一つである天皇を廃してしまえば、二度と日本という国は復活できないことを知っていたから、主権と引き換えに皇室を残したのです。
天皇(皇室)だけを守ったのではありません。日本の国体(日本人・国土・天皇)を守ったのです。ここは間違えないでください。この3つで「日本」なのです。つまり「大きな私」なのです。
現代に生きる私たちは、戦争をして負けた先輩たちの、
「申し訳ない!でも国体だけは守った、どうか日本を復活させてくれ」という無言の叫びを浴びているのです。
しかしこの声は無言であるが故に・・・
私たちは、明日のドラマの内容、流行りのファッション、金儲け、溢れる娯楽、乱脈なセックス、美味しいスイーツ・・・これらに意識が向きすぎて、聞こえないのです。
でもちゃんと今でも訴えています。私には聞こえます。どこにいても何をしていても、先輩方の声が聞こえます。みなさんにも聞こえるはずです。日の丸の向こう側の何千・何万という先輩方の姿と共に「日本の復活」を願う声が。
昨日の朝日新聞の記事
これが現実なのです。
ウイグルは東トルキスタンという国でした、そこへ中国共産党が侵入し、激しい宗教弾圧を加え、住民を迫害し、あらゆる浸透工作を行っています。
本日ただいま、ウイグルの人たちにとって一番大事なモスクがカフェに改装され、観光客(漢人)が寝転んでお茶を飲んでいるのです。
ウイグルでは起きて、日本では起きないと思いますか?
50年後、いやもっと近い未来、日本の神社がカフェになり、祭りがなくなり、信仰を捨てない神主は拷問を受けているでしょう。
絶対そんな日本にしたくない。私はそう思います。
「じゃ~どうしたらいいだ!」
とお思いになると思います。
答えはたった一つです。
「自分とは一体何者なのか?」
それをご自身に問い続けることです。
必ず「大きな私」と出会い、自ずと答えに導かれます。
それでは今日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。