『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

きっと、身のよじれるような虚無感だろう

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

秋晴れで、どこか出かけたい陽気です。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

 

さて

また昔の事を思い出して書いてみますが・・・

中学生の時、塾に通っていました。

ただ私の住んでいる地区から少し離れた地区の塾でした。

なのでその塾に通っている生徒は全員私からしてみれば他校の生徒で、知らない人ばかりでした。

それがやたらと私の心を警戒させて、周囲の動きに敏感になっていたように思います。

 

何の教科か忘れましたが、ある若い男性の講師がいました。

その講師はある見た目に身体的特徴を持っておられる方でした。(それ以上は記しません)

話も上手で、本当に若い力に溢れているような先生でした。

 

その日も普通にその塾へ行き、授業となり、その若い先生が講師でした。

授業もずーっとやっていると、講師も生徒もだれるので、

途中ちょっとブレイクタイムみたいな時間を意図的に作って先生が余談をする時があります。

その時、その若い先生が、「学校の教員の採用試験を受けているんだけど、なかなか合格しない」という自身の体験を語っていました。

教育に強い情熱を持っていて、今は塾の講師をしているけど、いずれは学校の教員になることを夢見ていることが全身からにじみ出ていました。(本当にその時私はそう感じました。)

 

すると・・・

教室の一番後ろの席の生徒が、話の間隙を突いて、

 

「(身体的特徴)だからじゃないの??」

 

とボソッと、でも聞こえるように、笑いながら言い放ったのです。

それを聞いたその先生は、

溢れる怒り、やるせなさ、過去の悔しい思い云々を、究極にまで押し殺して、

「何ぃ~!」と一言だけ言って、話を替えていました。

その心無い言葉を言い放った生徒は、他の近くに座る生徒(友達?)と目を合わせてニヤニヤしている様子でした。

 

 

「子供は残酷だ」

と言われますが、もう中学生ですから、この言葉は通用しないと思います。

こう・・・なんと言うか・・・

世の中にはこうした人間が間違いなく存在していて、へらへら笑いながら人を傷つけて回っているわけです。

今回は塾の講師という他人を取り上げましたが、私もこういう人間に散々小突き回されてきたので、こうした経験が私を人嫌いにさせたんだろうなぁ~と思います。

 

今でもあの先生の事を思い出すと、色んな思いが去来します。

お持ちの身体的特徴によって、それまで苦労されてきたことは間違いなく、

どれだけ苦しい思い、辛い思い、悔しい思いをしてきただろうと思います。

そして本人が一番「そうなんじゃないか・・・」と思っているような事、

つまりその身体的特徴によって教員に採用されないのではないか・・・

ということを、ただの人生の通りすがりみたいな人間に言われた時の彼の心の中を、

当然私のつたない文章で表現できるはずもありません。

きっと、身のよじれるような虚無感みたいなものに襲われただろうと思います。

 

しかし間違いなく言えることは、この若い講師はいわゆる「少数派」だということです。

否応なしに持つその身体的特徴が、彼の心・精神に絶えず「動き」を促し、

「私」という存在へ注目し続けるような人生を送るっているはずです。

「少数派」が「人類の種の発展」の為に存在しているというのは、

こういう状況下にあるからなのです。

 

誰もが素晴らしい、皆等しく尊い存在である。

本当にそう思います。

皆、元型(アーキタイプ)のひとかけらを命として宿しているわけですから。

心無い言葉を他人に投げかけ、何も意に介さない人だって、

「人類の種の保存」という使命を立派に果たしています。

ただ・・・やはり・・・なんであれ、

傷つけられるということは、単純に辛く、苦しい事に変わりありません。

 

 

今日はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。