『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

私は今年で40歳だけど・・・・

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

お久しぶりです。ブログも書けず、皆様のブログも読めずで申し訳ありません。

前回の投稿にも記しましたが、なんとなくお正月が伸びている感じがして、

今日も例年より忙しい土曜日です。

ただ、確かにバタバタ感があって、パソコンに向かえないというのもあるのですが・・・

実を言うともう一つ理由があります。

それが・・・心境の変化です。

発信が嫌になったとか、ネタが尽きたとか・・・そういうのではありませぬ。

以下に少し己の分析を述べたいと思います。

 

 

 

「は?何言ってんだ?」

と思われるのは当然の事なのですが・・・

私は今年で40歳を迎えます。節目の年ですね。

しかし・・・

私は今年で20歳なのです。

「いやいや、お前は十分40歳にならんとする、いいおっさんだよ!」

と言われるかも知れませんが・・・

私は今年で20歳なのです。

 

私が自分の実年齢と「心の年齢?」みたいなものとに大きな差があるなと思ったのは、すごく最近の事。せいぜい一昨年くらいです。

 

あまり詳しく書くと長くなるので割愛しますが、

私の「心の年齢」は、だいたい小学5年生、つまり11歳くらいでピタッと止まっていました。

この頃から社会(人の中)で生きる事=苦しい事。みたいな認識が始まったと、今思い返すと感じます。

そして、私の「心の年齢」を止めていた最大の理由・・・

それが「自分を置き去りにした事」でした。

(もちろんその時はそんな事わかりません。今だから解るのです。)

 

自分が何がしたくて、何が好きで、どうなりたくて、云々・・・

という自分自身に投げかける問いを、完全に放り投げ、

どうすれば人に好かれるか、どうすれば人から嫌われないか、どうすれば人から注目を浴びれるか、どうすれば人から称賛されるか、云々・・・

私の頭の中は、「他人からどう思われるか」という事だけが支配していたのです。

 

このブログでも、そしてユーチューブでも語っているように、

私は神社や神道が「理由なく好き」という側面があると同時に、他人からの評価を得るため、弱い自分を守るために、神社や神道が好きだと定めた部分があります。

先に述べた、「どうすれば人から注目を浴びれるか」という思考が、この職業を選択させたことも間違いないのです。

職業だけではなく、友達付き合いや、遊び、大学でのサークル活動などなど、

あらゆる場面に置いて、私は「他人からどう思われるか」と言う視点で物事を捉え、そして行動に移していたのです。

最優先事項がこれですから、後は二の次三の次です。ですから普通の人が通るべき道を全く通らぬままだったのです。

これが、11歳で私の「心の年齢」が止まってしまった理由です。

 

しかし、30歳を過ぎた頃、非常に大きな人生の挫折、そして非常に大きな出会いがありました。これによって私は今までの交友関係がほぼご破算になり、限られた人としか交流しない生活が始まったのです。

それがだいたい33歳ですから、今から約7年前の話です。

 

私はその頃、初めて「私」という存在に「気づき」ました。

はっきり言って、「この歪んだ人物は、なぜこうも歪んだ生き方をしているんだ」と自分で思った程です。それだけ私はバランスの欠いた人間だったのです。

それから、私なりに人間の心というものに向き合うことにしました。

本を読んだり、人の話を聞いたり、色々なワークを実践したり・・・

そして、非常に大事な事なのですが、私は私の意思で、先に述べたそれまでの交友関係を変化させたのではありません。ある人による助言や叱責、そして身を挺した助力によって、抜け出すことができたのです。

この人の助けがなければ、私は今頃、ほぼ間違いなく・・・自死していました。

私はもう三途の川の渡し賃は払い終えた人間なのです。

 

「心について知りたい」という欲求は、「私を知りたい」という事とイコールでした。

そして、それに従いたくさんの時間とお金をかけ、回り道をしながら、日々を暮らし、先ほど私を助けてくれた人も、変わらず私を応援し続けてくれました。

 

そして、時は流れ今から2年くらい前に、ふと・・・

「あ、私は人より20歳遅れていたんだ・・・」と気づいたのです。

つまり、「私を知りたい」という欲求が、私の「心の年齢」を進めたのです。

今にして思えば、この7年間の前半は、普通の人で言えば「思春期」のような時期だったように思います。

そしてようやく18歳(実年齢38歳)くらいの時に、なんとなく心の中に「自立」「独立」みたいな言葉がチラつくようになりました。

きっと普通の人は、高校を卒業するあたりに、こんな気持ちになるのかなぁ~と感じたことを思い出します。

 

 

 

「自分は本当は何がしたいのだろう。」

 

という問いが、頭の中をいつも駆け巡ります。

もちろん神主としての夢は理想を持っています。

それは非常に曖昧で、ボンヤリしたものです。

でも、本当に、本当に、本当に・・・・僭越ではありますが・・・・

やはり私は現状の神社界を改革したいのです。

改革というと、すぐに中世末期にヨーロッパで起こった「宗教改革」が連想されます。

だから「僭越」だと申しているのです。

しかし、そうであっても、このままでは「国が滅びる」と思っていますので、

ささやかではありますが、ブログやユーチューブでの発信を続けています。

 

この思いは全く変わりません。是から先も変わらないでしょう。

しかし・・・

突っ走り過ぎたように感じています。

大学の入学の時から数えればもう20年以上、この神道の世界にいて、

寝ても覚めて神社神道の事、学生の時も休みの時は神社の手伝い、そして今も生活の全てが神社です。

20歳を目前に(実年齢は40歳ですが)、別の生き方、別の環境に身を置くのも、ありなのかなぁ~と思うようになったのです。(って今年に入って急に)

 

この、今ままでの環境から「さよなら」することが、大人になるってことなのかも知れない。

そんなことを、つい最近思うことがありました。(実家を巣立つ若者ってこんなかなみたいに)

 

希望としては、いわゆる自然の中で暮らしながら、人の喜ぶ事がしてみたいなぁ~と思っていますが、どうなるか解りません。

 

まだまだ、なんかダラダラ書けちゃうので、この辺りで止めにしますが、

こんな感じで少し?心に変化が訪れているわけです。

私に限らず、全ての人に言えることですが、やはり立春から運命や人生の流れみたいなものに変化がやってきますから、今それを目前に準備段階と言った所なのかも知れませんね。

 

あ~なんだかまとまらいっすね。

ごめんさい^^

 

それでは、最後までお読み頂き、ありがとうございます。