『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

近況(夢の話を交えて)

こんにちは。

ユーチューブの更新のお知らせが多くて、こうしてブログを書くのは久しぶりです。

 

今日見た夢の話に加え、近況を語ります。

久しぶりに平成20年に亡くなった「祖父」が出てきてくれました。

 

実家の食卓で私が「果物」(マンゴー・梨・ぶどう・あともう一つ何か)を食べていると・・・

一人の男性が何となくソワソワした感じで席に着きました。

そちらに目を遣ると、なんと祖父でした。

あまりに鮮明な姿にびっくりして・・・

「あれ?これ夢かな??」と思い、夢じゃない事を確認して(実際は夢ですが)

「どうしたの???」と声を掛けました。

祖父はニコニコしていて、私を見て「老けたな」と言いました。

私は「そりゃ(あなたが亡くなって)7・8年経っているからね。」と返しました。

(実際は14年経っているので、半分サバ読みしていました)

「おじいちゃんはずいぶん太ったねぇ」と言うと、

現在入院中の祖母が会話に入ってきて、

私が昔体が細かったのに(威勢ばかりよくて、見ていて)かわいそうだった。

と言っていました。

 

この辺りで目が覚めてしまいました。

 

夢占いを見て見ると、笑っている祖父の夢、そして果物を食べる夢はいずれも「吉夢」なんだとか。

仕事や金銭において、良い結果や報酬が得られるとの事・・・

しかしそれ以上に、故人となった祖父が、あれだけ鮮明に現れてくれたことが嬉しかったです。

 

実は先日ツイートしたのですが、

「人生の流れ」みたいなものが、大きく変わる前兆を感じています。

私の心が大きく変化しているのがよくわかるのです。

誰しもそうですが、私たち人間は、それぞれの思考や言動の「源」を持っています。

私の場合、大きく分けると以下の3つになります。

 

1 社会貢献

2 権威の希求

3 恨み・つらみ・僻み・妬みを土台とした怒り

 

大きく分けるとこの3つです。

これらの内「2」については今から7年くらい前に起こった、人間関係の大きな変化という出来事をきっかけに、徐々に解決されていき今日に至ります。

しかし私の中には「3」という闇が大きく横たわっています。

そしてこの問題は実は私だけの事でなく、「父」と共有する問題であり、世代を越えて向き合わなければならないものなのです。

 

感じ取れる方は感じ取れるのですが、

例えばブログにしろ、ユーチューブにしろ、私の「発信」には(もちろん全てではありませんが)どこか「毒」や「棘」があります。

或いは「私は正義で、〇〇は不正義」と言ったようなニュアンスが漂う事もあります。

それは、私の心に「3」という感情がべったりと貼り付き、そこから「怒り」という感情がガスのように湧き出るからです。

 

ではなぜ私はこうした感情をこの心に蔓延らせているのか・・・

それは「先が見えない」という事でした。

今年のお正月に書いたブログ

トンネルの先の光を目指して - 『神主の遺言』

において、人間の生きるエネルギーを最も奪うものは、

「この先どうなるか、この状態がいつまで続くのか・・・」であるという話を書きました。

 

はっきり言うと、

私は神職(私は「神職」と「神主」を使い分けしています)という仕事に就く以前、神道系の大学に入学した「瞬間」から、この苦しみを感じて生きてきました。

自分はどうなるのか、どうすればいいのか、いつまでこうなのか、ずっとこうなのか、もう辞めるべきなのか、もう死ぬべきなのか・・・

 

しかしそれでもこうして未だ神職として在ります。

それは偏に「1」があったからです。

国や地域、未来の日本人に少しでも何か貢献したいという気持ちです。

そのエネルギーが「現状」という壁に当たることもまた、「怒り」を生み出す原因にもなっているのです。

 

・・・もちろん具体的な事は申しませんし、実際にハッキリとした行く先を見出したわけではありません。

しかし、少し前のある出来事によって、「先が見えない」という状態から、

闇の中に光の気配を感じることができるようになりました。

たったそれだけの事なのに、日を追うごとに私の思考・言動の源の一つである「3」が薄れているのです。

 

そんなタイミングで、

在りし日の祖父、そして元気だった頃の祖母が夢に出てきてくれました。

示唆的なモノを感じ、ついついブログに書いてみたくなったというわけです。

 

4月ももう後半ですね。

緊急事態宣言がまた発出される地域もあります。

皆様どうぞご自愛ください。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。