『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

憲法改正を叫ぶ者の覚悟

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます

 

 

今日5月3日は「憲法記念日」ですね。

あんな紙に書いたただの文章・・・

と思うかも知れませんが、やはり憲法というのは、

その国の「大方針」が書かれたものですので、私たち国民生活に大きく影響しているものなのです。

例えば・・・

沖縄県石垣市登野城尖閣2390番地から2394番地に位置する「尖閣諸島」では、

連日中国海警という政府の機関の船が航行しています。

それどころか、「ここは中国の領海だから日本の船は出て行け」と言ってきます。

あなたの家の敷地に他人が入り込み、ここは私の土地だから出て行くようにと言っているのです。

 

日本の海上保安庁の船は何をしているかと言うと、もちろん日本の領海から出て行くように促します。

しかしそれ以上の事は行いません。もっと言えばこの「日本の領海」に「日本の漁船」が漁業を行うことを、日本の海上保安庁が事実上阻止している状態です。

なぜだかわかりますか?

 

日本国憲法 第二章 戦争の放棄

第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

簡単に言えば、武力で物事を解決しません。

憲法に書いてあるからです。例え相手が武力で威嚇してきてもです。

あなたの家の敷地に他人が入り込んだら、話し合いで解決します。ということです。

憲法九条」を守ろうと言っている人たちが、如何に「利敵」な存在であるかがよくわかると思います。

日本は法治国家ですから、この憲法に従い、公務員たる海上保安官は、今この瞬間も粛々と中国の船に対して、日本の領海から出て行くよう「お願い」をするだけなのです。そんな事をしている間に、中国は着々と実行支配を強め、先日は尖閣諸島の地図まで作成し、世界に公表しています。

 

私としては、日本人の生命や財産を守ることができない今の憲法は即時停止をし・・・

と言いたい所ですが、それは余りにも非現実的だと思います。

やはり物事は現実と照らし合わせて少しづつ進めていくしかありません。

私たちの日々の営みがそうであるのと一緒です。

 

そしてここからが私の言いたいことなのですが・・・

憲法改正」というのは「戦後体制」からの脱却とイコールです。

つまり戦後体制というのは、今私たちの生活全てを覆っている言わばドームのようなものです。

私は事あるごとに申していますが、

戦後というのは戦前の否定によって成り立っているドーム(空間)です。

憲法改正を叫ぶ者は、このドームを自ら壊し、そして自ら立ち、新たな生き方を選択するという覚悟を持ったものでなければなりません。

ただのパフォーマンスやカッコ付けではいけないのです。

 

ですから例えば私がいる世界であれば、

昭和20年の敗戦に伴う連合軍の占領を受けて、

国家の宗祀と言われていた神道は、連合軍の占領政策によって宗教となりました。

まさに神社神道の宗教化というのは戦後体制そのものなのです。

私たち神職もこの体制の中にどっぷり浸かった人間なのです。

 

もし神社界が憲法改正を訴えるのであれば、

神道とは何なのか?

という問いを神職が真剣に問い直さなければならないのです。

自分たちが戦後体制そのままなのに、憲法だけは改正しよう。というのは筋が通りませんし、真剣に憲法改正に取り組み、努力してる人たちにとって失礼だと私は思います。

 

私の主張は「神道神道」です。

日本の国体(国土・天皇・国民)と不可分な存在だと考えています。

それを「宗教」という「人間の生き方を助け、真理を追求するツール」へカテゴライズするのはムリがあります。

ですから、神道には神道に相応しい「立ち位置」が必要なのです。

これは神道を特別扱いすることではありませんし、他の宗教を蔑ろにすることでもありません。そもそも別物であると先ず私たちが理解する必要があるのです。

今の神社界が自分たちの扱う神道というものを、本当の意味で理解した時、

自ずと今の在り方の不自然さに気づき、最終的に憲法改正という行動へ繋がるものと思います。

 

絶望の先の希望を見つめ、憲法記念日の投稿と致します。

最後までお読みいただきありがとうございます。

よい休日をお過ごしください。