『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

人は悲しいくらい・・・

お久しぶりです。

 

関東はそろそろ梅雨明けしそうです。夏好きな私にとっては待ちに待った季節の到来です。

オリンピックもいよいよ開幕です。

コロナですったもんだしておりますが、やるからにはきちっとやりたい。

ただ一つ思うのは、昨年延期するという決断をして1年も時間があったのだから、

色んなアイデアを出し合って、無観客でも楽しめる企画を山のように用意しておけばよかったのに・・・とは思います。

例えば

今回に限り「賭け」ができるとか、

VRだけじゃなくて脳とコンピューターを繋げて感覚も会場にいるようにするとか、

オンラインのeスポーツも正式競技にして世界中で対戦し合うとか、

選手とオンラインで繋がって、色々質問できるか・・・

とにかくやれることなんていくらでもあると思うのですが、この手のアイデアを聞いたことがありません。みなさんはどう思いますか?

 

ってまぁ実はこれ、日本人が小さくなり、下向きになっている証拠なんですよ。

30年間のデフレによる経済的な不調を始め、あの手この手で日本人の希望を奪うような工作が日々行われていますから、仕方ないことなんです。

でも絶望しちゃダメですよ。日本はこれを乗り越えていかないといけません。

 

さて、本題に入ります。

以前、首の後ろの下側(背中の上、両肩の間)が痛くて困っていました。

姿勢が悪いのか、トレーニングのし過ぎなのか、寝方が悪いのか、寝具が悪いのか・・・

色々原因を探してみたのですが、結局答えは「胸鎖乳突筋」の緊張でした。

 

なんじゃその筋肉?って感じですが、この筋肉は耳の後ろから鎖骨にかけて伸びている筋肉で、いわゆる「首筋」と呼ばれる部分の筋肉です。

首の後ろが痛いのに、原因は首の前の筋肉だったのです。

ここを押したり、摘まんだり、伸ばしたりすると、本当に不思議と首の後ろ側の痛みがなくなります。

理論としては、この筋肉が緊張すると、首が前傾して、後ろの首の筋肉が常に引っ張られる形となり、それが痛みとなって表れているのだとか・・・

「ほ~、やっぱり何でも原因があるもんだなぁ~」と思って感心しておりました。

体の痛みに限らず、ネガティブな現象には必ず、何かしらの原因が存在します。

そしてそのネガティブな現象をいくら抑え込んでも、原因がそのままであれば、また同じようにネガティブな現象は起こってしまいます。

 

・・・と、ユーチューブでも以前お話をしたことがあるのですが・・・

 

昨夜全く同じ箇所が痛くなりました。

痛みが強くで、首が全然動かせない状態で苦しみ、

揉んだり、叩いたり、伸ばしたり・・・。

こりゃダメだ、と思って湿布をペタッと貼って就寝しました。

そして朝起きても同じように首の後ろが痛くて仕方ありません。

そして「あれ?この痛み少し前にもあったな?」

と思ってユーチューブで「首の後ろの痛み」と調べると、

以前痛かった時の履歴がそのまま残っていました。

 

そう・・・忘れていたのです。

 

この痛みは首の後ろが原因しているのではなく、首の前の筋肉(胸鎖乳突筋)の緊張であることを、すっかり忘れていました。

もちろん私の記憶力の問題もあります。(ホントに物忘れがスゴイので。)

ただそれを差し引いても、見事な忘れっぷりです。

「痛み」というネガティブな現象に意識をとられ過ぎて、

首の後ろが痛いというガティブな現象を何とか抑え込もうと躍起になって、

以前学習したハズの、首の前に原因があることに気が付かないのです。

 

「人は悲しいくらい、忘れて行く生き物・・・」なんです(^^;

 

もう一度言いますが、私の記憶力の問題もあります。

しかし、痛みというネガティブな現象の持つパワーは凄まじいなぁ~と思ったのです。

そしてこのネガティブな現象は、その原因に目を向けなくさせようと一生懸命なんだとも思いました。

なぜなら、この原因こそ、本当の私を知るきっかけだからです。

 

例えば私の例であれば、この胸鎖乳突筋の緊張がなぜ起こるのかということが一番の本質です。

知らぬ間、常に首を前傾させているということは、気分が落ちているからかも知れない。

首筋を立てるという言葉があるように、歯を食いしばっているのかも知れない。つまり何かに悔しがったり、怒っていたりするのかも知れないなど・・・

 

原因となる部分が、なぜそうなっているのかを探っていくと、心の状態がどうなっているのか、という部分に行きつき、「本当の私」と対峙するようになるのです。

ですから、痛みというネガティブな現象は、それを見させない為に、強烈なパワーを発し、意識を自身(痛み)に引き付けているのだと思うのです。

 

しかし、やはり私たちは「本当の私」と対峙し、語り合うことでしか、成長はありません。嫌でも辛くても苦しくても、その原因を探り、癒すことによって、ネガティブな現象は自然と薄れ和らぎ、その人らしく生きられるようになると思うのです。

 

今日はちょっと長文になっちゃいました。

何かの参考になれば幸いです。

それではまた!!