『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

見えない「線」~衆議院議員選挙を終えて~

久しぶりにブログを書きます。

みなさん、ユーチューブご覧頂いてありがとうございます。

 

 

さて、

昨日は衆議院議員選挙の投票日でした。

衆議院選挙は政権の正統性と直接関わるとても大切な選挙です。

私も一票を投じてきました。

 

実はこのブログでもユーチューブでも、

はっきりとお伝えしたことはないのですが、

私は非常に「政治的」な人間です。

小学生の頃から周囲が引く程、政治に関心を寄せる子供でした。

今も本質的な部分は変わっていないハズです。

しかし私の発信は、常に「神主」という立場で行っていますので、

できるだけ政治的な発言は避けています。

それは神主だから政治的発言をしてはいけないという考えに依るものではなく、

別の考えに基づくものですがこれについては割愛します。

 

いつもは見ないテレビですが、

選挙の日だけは、8時になるとすぐにテレビを点けて情勢を確認し、

眠くなるまでインターネットでアレコレ情報を収集するのですが、

そこで感じることがあるのです。

 

例えば自分とは主張の異なる候補が落選したという報が入った時、

ツイッターなどで・・・

 

「祝!落選!!」

「落選おめでとう!あなたが落ちてこんなに喜ばしいことはない。」

 

みたいな発信をされる方がいます。

誰しも、当選して欲しい候補というのがいて、それに対立する候補や政党が落選すれば、「よかった」と思うのは当然です。自然な事です。

はっきり言って、本当に落選した方が国益になるような候補も事実存在します。

 

しかしやはり、どんなに憎い相手でも、上記のような発言は避けるべきでしょう。

越えてはいけない「線」があるのです。

(このブログをお読みの方は決してそんな方はいらっしゃらないことはわかっています。)

 

私は繰り返し、日本人は皆「武士道」を心の中に宿していると言っています。

そしてこの武士道の一つの要素が「相手を尊重する」というものです。

相手がいるから私がいる。という考えを武士道は持っているのです。

そしてそれが日本文化を支える下敷きになってると私は思っています。

 

非常にネガティブな例になってしまいますが、

東日本大震災の時、「日本の地震をお祝いします」といったような趣旨の主張をした人々がいました。

また日本の国旗を踏みにじり、火を点けるような行為に及ぶ人たちが一部にいます。

或いは、著名な方が亡くなった時、「死んでよかった」などと言う人もいます。

 

これらは、先に挙げた「落選を祝う」という人としてやってはいけない行為の類です。

そしてこれらは長く日本人が「やって来なかった事」です。

こうした悲しい事を日本人がやっているとは思いたくありませんし、

信じたくもありませんが、

この「線」は決して越えてはいけないのです。

 

私たち日本人は等しく、

天皇陛下を戴き、その下で暮らす国民です。

人々の暮らしには必ず「争い」が生じ、「敵」が現れます。

しかし、どんなに憎み、争っても、天皇だけはお互い大事にしたから、

最終的には一つに纏まったのです。

これが踏み越えてはいけない、

見えない「線」を私たち日本人が獲得した要因です。

 

しかし外国にはこれがありません。

相手をトコトン殲滅し、墓まで暴いて晒しモノにしてきた歴史を有する国もあります。

日本人がこの真似をしてはいけないのです。

殺したい相手も、自分と同じ天皇と共に生きる民と思えば、命を奪うことはできません。

これこそ、世界が決して真似の出来ない、日本の姿であり、

右翼でも左翼でもありません。

日本オリジナルの生き方なのです。

 

今日はここまで、

最後までお読みいただきありがとうございます。