『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「私が退職した本当の理由」

みなさん、こんにちは。

 

ユーチューブはコンスタント?に更新していますが、

こちらのブログはユーチューブの紹介ばかりで(それもまとめて)

実際にこうして書き込むのは、去年の誕生日(12月1日)以来のようです。

 

実はその間いろんなことがありました。

なんといっても長年勤めた神社を退職したことでしょう。

ユーチューブではすでにご報告していますが、

こうして文字としてご報告するのは初めてです。

 

去年の10月に上司に退職を申し出て承諾され、

年を越して今年の2月いっぱいで退職し、

次の勤め先を決めぬまま(もちろん色々手を尽くしましたが)無職になりました。

もう11月ですので、すでに9か月、定職に就いていません。

 

今日久しぶりにブログを書いてみようと思ったのは、

私の「本当の退職理由」がはっきりしたからです。

とても大切なことなので、文字として残すことにしました。

これをお読みの方へ参考としてお示しすると同時に、

私への戒めのためでもあります。

 

 

今年の3月に無職となり、

あっちこっちと旅に出て、

あれをやってみたり、これをやってみたり・・・

そしてどれも実にならず、

時間を空費・・・とまでは言いませんが、

およそ40代、働きざかりの男が送るような日々とはかけ離れた生活を続けているわけですが、

ただやはり色々な人との会話や特に神社から離れた暮らしを送る中で、

それまで気づかなかったこと、気づいていたけどしっかりと目を向けていなかったことなどを強く意識するようになりました。

 

このブログは公開ですので、誰でもお読みいただけます。

ですので私なりに気を使いながら文章を作っています。

誰かを責めたり、批判したりはもちろん、

当然悪口の類を記すことはありませんし、そもそもその気がありません。

以下は私の人生で起こったことであり、すべて私の責任です。

それだけは初めに強調しておきたいと思います。

 

それでは

「私が退職した本当の理由」・・・

 

それは

「上司と合わなかった」

 

実はそれだけのことなのです。

人間には合う・合わないがあります。

合うから良い、合わないから悪いということはありません。

単純に合う人、合わない人というのが存在するだけなのです。

 

しかし私はとにかく色んな理由をつけて、

自分自身をその場にとどめようとしたのです。

実を言えば奉職して2年目で、すでに「もう辞めたい」と下宿先近くの床屋のお兄さんにこぼしていたことを思い出します。

ところが・・・

奉職してすぐに辞めるなんて恥ずかしいとか、

石の上にも三年だとか、

最低10年はやるべきだとか、

ここでの己の使命を探すべきだとか・・・

次から次へと自分をそこへとどめる理由を探しだし、

自分へ言い聞かせていったのです。

・・・・「上司と合わない」という「現実」から目を背けながら。

 

ただこれだけはハッキリ言えますが、

私にとってあの神社は本当にご奉仕させてもらえたことがありがたく、

それは今でも間違いなく言えることです。

本当に私に「合った神社」でした。

特に氏子さんたちとの心のふれあいはこの生涯における至高の宝物と言えるでしょう。

しかし神社と合うから、上司と合うというわけではありません。

私の場合は、これが完全に・・・・

「てれこ」だったのです。

 

もう一度念を押しておきますが、

合う・合わないというのは、それがイコール良い・悪いではありません。

つまり私と合わなかったからと言って、その上司は悪い人。ということではない!ということです。

 

そしてそうした状況にもかからず、

先にも述べた通り、様々な理由をつけてそこへとどまり、

気が付けば15年以上の歳月が過ぎていきました。

私は雇われている身ですから、当然上司に「合わす」ものです。

そしてその合わないのに、合わそうとする・・・

つまり向き合うべき現実から目を背け続ける日々が、

時に夜遊びに耽って大酒をあおり、

時に神社界のルールから逸脱したやり方で宮司になろうとして地元の神主さんたちから「いわくつき」と見なされてしまい、

時に専門外の分野に手を出しては失敗し、

時に情報教材販売業者の餌食となり、

時にビットコインや悪徳宗教詐欺に合いそうになり、

あるいは不眠やチック、慢性的なイライラ(一年中怒っている)や

参拝者に対する異常なほどの敵意など・・・(本当にごめんなさい)

どんどん精神を蝕んでいったのです。

 

これらすべて「上司と合わない」という現実を自分の力で変えようとしなかった、

つまり別の神社へ奉職するなり、別の生き方を選択するといった行動を取らなかったことによって起きた「症状」だったのです。

 

そしてとあることが「きっかけ」で、これ以上ご奉仕することはできないと思い退職を願い出ました。(上司と何かトラブルがあったわけではありません。)

退職を決意し、実際に退職してからしばらくは、

この「きっかけ」が退職の理由だと思っていましたし、他の人にもそう説明をしていました。

しかし実際は、本当にこれは単なる「きっかけ」であって、

退職の本当の理由は、上司と合わないにも関わらず、ずっとい続けたことによって精神的な限界に達した。という本当にごくごく単純なものだったのです。

薄々は感じていましたが、退職して9か月経って、ようやく私は私の「現実」と向き合った。ということです。

 

退職してしばらくしてアップしたこちらの動画↓↓

www.youtube.com

こちらで言ってることは決して嘘はありません。

しかしやはり自分の本心までは語れていませんでした。

これより後、もう少し時間が経って、自分が退職した本当の理由を自分自身で知ることができたのです。

それにしても、辞めてようやくわかるんですから、私というのは本当に自分で言うのも悲しくなりますが、やはり「おつむが弱い」です。

そして何よりも、現実から目を背け、次々とそこへとどまる理由を見つけて自分に言い聞かせていた最大の理由が・・・

 

「自分は世間では通用しない」

 

という思い込みがあるからです。

この人生を振り返ると常にこの思い込みに支配されてきました。

私は周りのようにうまくできない。

私は何をやってもダメ。

私は絶対に失敗する・・・・

 

そして実際その通りでした。

人生において「勝たなければいけない場面」において、

私は、負けるか、逃げるか、ごまかすか。

真正面から向かって、勝利や成功を掴んだという記憶とその感触を持っていないのです。つまり「成功体験」がほとんどないのです。

 

成功には必ず挑戦が必要です。

私はその挑戦から逃げ続けました。

そうした生き方をしてきてしまったために、

仕事で言えば就職した先の上司と合わないのだから、別の職場を探せばいい。

という選択が取れず、世間という戦いの場に放り出される恐怖にただ身を震わせていたということなのです。

ただ期せずして齢40に無職となって、世間の吹き付ける風に晒されるようになり、

今まで記した通り、己の本当の姿をとらえることができたのは、良かったと思います。

 

またどこかの神社で神主のお仕事ができるかな・・・

その日までしっかり生きないといけませんね。

 

それでは長々と失礼ました。

最後までお読みいただきありがとうございます。