『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

新撰組と劣等感

ご訪問ありがとうございます。

久しぶりの投稿です。

関東はそろそろ梅雨入りの気配です。

外で遊ぶのが好きな私にとってはかなり苦痛です・・・

 

さて皆さんは、幕末に活躍した「新撰組」って聞いたことがあるでしょうか?

って有名な組織なので名前くらいは聞いたことがあると思います。

香取慎吾さん主演で大河ドラマにもなっていましたね。

 

江戸時代の末期、日本は真っ二つに割れていました。

幕府に今まで通り政治を行ってもらおうとする勢力(佐幕派

天皇に新たに政治を行ってもらおうとする勢力(討幕派)がいたのです。

新撰組佐幕派です。というより幕府の正式な組織の一員なので当然のことです。

討幕派を監視して、必要であれば斬り合い、京(現在の京都)の治安維持を担当していました。簡単に言えば、幕府警察みたいなものです。

 

この新撰組のメンバーは様々な身分の出身者が集まった集団でした。

特に局長(リーダー)の近藤勇や副長の土方歳三などが、百姓の身分であったことは有名です。彼らは今の東京都多摩地域に生まれ育ちました。生まれながらの武士ではなかったのです。

しかし彼らは剣術を学んでメキメキと頭角を現し、最終的に武士にまで取り立てられました。

侍は相手の構え、いや「手の甲」を見ただけで、相手の強さが解るそうです。近藤らの剣の腕前は本当に見事なものだったと伝えらえています。

 

彼らは公家でも、商人でも、僧侶・神主でも、職人でも、役者や他の何物でもなく、

「武士」になりたかったのです。

これは我が国の理想とする人間の生き方が、武士道にあると信じていたからだと思います。そして私も同じように思います。

 

有名な話ですが、この新撰組のもう一つ注目するべき点があります。

それが、殺した敵より、粛清した味方の数の方が多いということです。

その中でも法度(決まり事)を破った隊士は容赦なく切腹させられました。

彼らは鉄の掟を定めることで、他の誰よりも武士らしく振舞おうとしたのです。

新撰組は最終的にどうなったかと言うと、雲散霧消しました。

局長の近藤は処刑され、北海道で土方も戦死し、新撰組は瓦解します。

 

非常に簡単に新撰組について紹介しましたが、私が言いたいことはこれからです。

新撰組は自滅した。」ということです。

もちろん武士の時代が終わって、これから新しい明治の時代に入るわけですから、当然武士はいなくなります。しかしそうした時代的な理由ではなく、彼らは潜在的に自滅するようになっていたと思うのです。

 

悪魔の勝利か?(三島・森田の自決から) - 『神主の遺言』

 

↑こちらでも同じことを書きましたが、

「劣等感を出発に持つ理想の希求は破滅を呼ぶ。」と私は考えいます。

 

新撰組の中心メンバーは百姓から身を起こして武士になった者がいました。

他の武士と比べ、自分たちは元百姓であるということが劣等感(コンプレックス)となっていたので、誰よりも剣術に磨きをかけ、そして厳しい掟で自分たちを縛ったのでしょう。

つまり彼らの中に強烈な武士像という理想が出来上がり、それに少しでも近づけようとする一方で、それに外れた場合は自分自身を痛めつけていったとうことです。

それが隊全体に重苦しい空気を漂わせ、士気の低下へと繋がり、時代の流れと共に消えて行ったように感じます。

 

理想は持っていて悪いものではありません。

しかしそれが自分を否定する、劣等感(コンプレックス)発進の場合、

毎日毎日、毎瞬毎瞬ちょっとづつ自分で自分を傷つけていることになり、

最終的に出来上がるものは「不自然な理想」という、本来の自分とはまるっきりかけ離れたものなのです。

 

もし何か「こうなりたい」と思うものがあるならば、

「今の私にこれを足したら、より魅力がUPする」と思うようにしましょう。

肝心なことは、もう既に今の私が素晴らしいと心から思うことです。

お金がなくても、地位や名誉がなくても、辛く苦しくても・・・

それでもこうして生きている自分は素晴らしい。

一つの輝く命を持っている自分は完璧であると理解した上で、

あなたが本当に選びたいものを、あなたに取り込むコトによって、

より素晴らしい自分になれるのです。

私も毎日筋トレしていますが、そう思うようにしています。

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。