『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

池の葉っぱを見つめる少年

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日今日と気温が低いですね。

体調にはお気をつけください。

 

 

 

 

さて

私の子供の頃の話なのですが、

同じものなのに、どうして水に浮くものと浮かないものがあるんだろう・・・

とよく考えていました。

 

例えば、葉っぱ。

池に葉っぱがヒラヒラと落ちてきて、水面に浮いたままのものもあれば、

少し時間が経つと水底に沈んでいくものもある。

 

子供の頃、この光景を見ながら、いつも同じクラスの子供たちと自分をなぞらえながら、考えることがありました。

 

沈んでいく葉っぱは勉強ができる人たちで、脳みそが詰まっているから重くて、

僕は勉強ができないから、脳みそがスカスカで軽いから、この葉っぱのように浮くのだと・・・

 

私は勉強が苦手でした。

というより得意と不得意の差があまりに大きかった。

だから、全体としての成績は悪かった。

 

自分は勉強ができないから、

どうせわからないから。

という思いを常に持っていたので、

途中で授業についていけなくなると、

心のどこかで、

 

「あ、またわからなくなった。もういいやぁ」

 

と思って、学ぼうとする姿勢を放棄していたと思います。

そして、学校が終わって、海や山へ遊びに行くわけですが、

 

そんな時に、さっきのように、池に沈む葉っぱと、浮く葉っぱを見ては・・・

 

「僕はバカだから、この葉のように軽く、浮いちゃうんだろうなァ。」

と繰り返し、繰り返し感じていました。

 

これは、やはり「自己イメージ」と非常に関係が深いです。

「自分はダメな人間である」

という強い思い込みを持っているがために、

普通の人なら考えもしないような思考回路を持つようになるわけです。

私で言えば「バカな私は軽いから浮く」

というこじつけをしてしまうのです。

そして、厄介なことに、その場面(シチュエーション)に出くわす度に、

同じことを思い出し、その「自分はダメな人間である」という思い込みをさらに強化させていくわけです。

 

ではなぜ、こうした思い込みをしたのかと言えば、一番最初はやはり親や周囲の言葉や反応によるものだと思います。

成績が悪いことを、がっかりされたり、バカにされたり、責められたりという反応をされたことによって、私たちは自分自身を低く評価し、そして自分を嫌うようになっていくわけです。

そして、その後は先ほども申した通り、自分自身の手によって、低い自己イメージを強化させ、鮮明にさせていくのです。

 

もっと言えば、「わざわざ」そうした、低い自己イメージを強化させ、鮮明にさせるようなことを、自ら作り出すのです。私の池を覗いて葉っぱを見つめるという行為をわざわざ繰り返すのもその一種ですが、

典型例で言えば、「ろくでなし男」との交際を止められない女性というのは、実はそうした相手と一緒にいることによって、「私は幸せにはなってはいけない」という自己イメージを強化させているのです。

或いは、過去にネガティブな出来事を経験したとします。当然我が身の不幸を体感しますが、「私は不幸な人間である」という思い込みを強化させるために、誰かを恨むことによって時間を止め、場面(シチュエーション)や実物の相手などを用いることなく、恨みという感情を用いて自分の脳内で、どこにいても常に、その思い込みを強化する方法もあるのです。

 

そして日々、自分はダメだ・・・私は不幸だ・・・ということを「体感」し続けます。

これは「元型」(アーキタイプ)の真反対を、それぞれの体(人生)を通じて体感しているということになります。

つまり、もともと私たちはダメでもなければ、不幸でもない、最高完璧な存在なのですが、それをより深く理解するために、わざわざその真逆を体験しているということなのです。これを「逆体験」と言います。

 

私たちはいつもこの「逆体験」に苦しめられているのです。

そして、この逆体験を引き起こす出発点が、

やはり「自分が嫌い」という感情です。

何度も申しますが、この感情が、体で言えば万病の素なのです。

 

だったら、どうやって自分を好きになればいいんだよ!!!

となるのが、普通です。

 

「好き」というのは、良い所をたくさん探し、積み重ねて、例えば自分の良い所を100個見つけたら「好きになれる」といったイメージをお持ちかと思いますが、残念ですが、これは違います。

 

良い所を探す必要はありません。

そもそも良いも悪いもありません。

私で言えば、ただ勉強が苦手だった。というだけです。

それが悪いかどうかは、親や他人、そして自分が勝手に後から評価しただけです。

そうではなく、勉強が苦手とい要素を私は持っている。

その事実を「認める」ということなのです。

自分の〇〇が嫌いと思っている人は、

先ずはその一つひとつを書き出してみて下さい。

そして、それらに対して「私は悪いと思った、思わされたのだ」という事実を確認してみましょう。

 

自分を好きなる、自分を愛するというから難しく感じるのです。

そうではなく、

自分を認めると言葉を入れ替えて、実際に上記の方法で、自分をの要素を確認してみて下さい。きっと何か変化があると思います。

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

 

 

この記事は『YORISOI』と共有しています。

http://namisapo.com/?photo=%e6%b1%a0%e3%81%ae%e8%91%89%e3%81%a3%e3%81%b1%e3%82%92%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%82%81%e3%82%8b%e5%b0%91%e5%b9%b4