『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

岩や草木のおしゃべり

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

昨日・一昨日とお休みだったのですが、

昔からそうなのですが、とにかく家でジッとしていられない質でして、

昨日は、朝のお茶→ジム→買物→プール→買物・午後のお茶→銭湯

と言った具体でした。お陰でぐっすり眠れていいんですけどね^^

でも、この時期はやはり人混みは避けた方がいいです。

皆さまどうかお気をつけください。

 

 

さて今日はこんなお話。

ネットのお陰で、神社や神道に興味を持って下さる人が増えて『大祓詞』という祝詞があることを知っておられる方がいます。

結構長い祝詞なのですが、6月と12月の大祓式や、禊の時などに奏上される祝詞です。

ご興味のある方は↓を覗いてみて下さい。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93%E8%A9%9E_(%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%BA%81%E4%BE%8B%E6%96%87)

 

この祝詞は、物語形式になっている部分があって、

今回特に注目したいのが、天孫(今の天皇陛下のご祖先)がこの中津国(日本の国土)に降り立つ前の様子を語っている所です。

天孫が天から降ってくる前に、日本の国土には荒ぶる神がいて、その荒ぶる訳を聴き、そして必要であれば征伐をし、さらに言葉をしゃべる岩や木、草の文句もやめさせた。

とあります。

 

この荒ぶる神の部分は今回は置いておきますが、

私は注意したいのが、「言葉をしゃべる岩や木、草の文句もやめさせた。」

原文は「ことひしいはね きねたち くさかきをもことめて」です。

 

神代の昔は岩や草木も言葉をしゃべったのかも知れませんが、

私の解釈としては、これはやはり人間の事を言っていると思います。

つまり、不平や不満を抱えた人間たちが、ぶつぶつと文句と言っている様子を、岩や草木が騒いでいると表現したのでしょう。

 

天孫、つまり新しいこの国の支配者となる方が、これからやってくるくることに対し、動揺もあったでしょうし、それまでの生活がどうなるのかという不安もあったでしょう。だから人々はざわざわと騒いだのだと思います。

しかし、そうした騒ぎを「語止めて」ですから、止めさせたというのは、単に「黙れ!」と言ったのではなく、私としては一つひとつ話を聞いて、解決をしていった。と思っています。

 

私たち人間は、生きている中で、様々な不平不満を抱えます。

自分でもどうしていいのかわからず、混乱することもしばしばです。

しかし私はこの上に紹介した、天孫が日本に降り立つ前準備として、岩や草木(人々)の文句を鎮めたというところに、大きなヒントがあるように感じます。

 

つまり、一つひとつの文句(話し・主張)をキチンと聞き、その人に相応しい仕事や立場という役割を与えることによって、それぞれが日本の国の重要な要素として、生きていけるという希望を示したのではないかと思うのです。

 

もう少し、踏み込んだ言い方をすれば、

各個の「特性」を活かして、「役割」に従事することによって、「自分とは何者か」という問いを鮮明にさせていく。

と思うのです。それによって、己というのものがはっきり見えてくるようになり、不平不満が和らいでいくのではないか。と考えています。

 

昔で考えれば、

「ハイ、今日から私がこの国を統治するので、皆さん畑仕事だけしていてくださ~い。逆らう人は成敗します。」

と言われれば、今まで別の事をやっていた人は困るし、畑仕事以外だって重要な仕事はたくさんあります。現場の声聞かない嫌なヤツだな。と思われても仕方ありません。でも殺されるのは嫌だから「渋々服従する」・・・。となるでしょう。

 

しかし、

あなたは畑仕事が上手、あなたは機織りが上手、あなたは山の知識が豊富、あなたは物を作るのが上手・・・

というように、それぞれの「特性」を見極めて、それを活かすことが、国を富ませることに繋がるということを自覚させれば、渋々服従するということにはならないと思いますし、むしろ喜んで頑張るのではないでしょうか?

 

人間には必ず「特性」というものがあります。無い人はいません。

それは何かが「上手」というものだけはありません。

逆に何かが「苦手」というもの立派な特性の一つです。

また一見なんの役にもたたなそうな特性も、場面を変えてみたりすれば、ものすごい特性へと変化することだってあります。

この「特性」というのは、「好いも悪いも」ありません。

好い・悪いは後の話で、先ずは人間には「特性」というものがそれぞれ備わっているということを理解することが第一というわけです。それを見極めた上で、あとはどのように活かすか。を考えていくということです。

 

さぁこれらを踏まえて考えてみれば、すぐにわかることですが・・・

 

国語、算数、理科、社会、云々・・・・

これらの成績が良い人たちが、良い大学を出て、良い企業に入って、良い人生を送ることができる。

 

というのが、今の日本の社会が持っている価値観です。この価値観に基づいて国家が運営されています。

しかし、これは飽くまでも勉強ができる、できないという「特性」の話です。もっと狭めていけば、「記憶力が良い」や「集中力がある」とか「知的好奇心が高い」という「特性」を持った人にとって優位な価値観ともいえるでしょう。

 

しかし、人間の特性というのは、これだけはありませんね。一人ひとり違います。

「優しいという特性」「怖がりという特性」「慎重という特性」こうした精神的な特性もありますし、さっきのように畑仕事や機織りと言った技術的な特性だってあります。しかしこうした特性は上記のように学校の通信簿には繁栄されることはありません。

 

ですから・・・・

今の日本は「岩や草木が騒いでいる」のではないのでしょうか?

つまり、それぞれが本当に自分の特性を見出すことができず、またそれを活かすことができないから、不平不満を抱え、自分らしく生きられず、「自分とは何者か」ということがわからず、最終的に精神的な苦しみを抱えることになるのではないでしょうか?

 

つまり・・・

今、多くの日本人が、学校の成績が良い人たちが、良い大学を出て、良い企業に入って、良い人生を送ることができる。という価値観に・・・

「渋々服従している」状態なのではないでしょうか??

しかも、この価値観に沿って生きなければ、この国では生きていけない。という脅しが掛けられながら・・・

 

それが生きづらさの素の一つとなっているように思えて仕方ありません。

こんな便利な世の中になったわけですから、

もっともっと、個々人の「特性」を活かし、それを使って世の中に貢献できるような国になって欲しいと思います。

 

今日は『大祓詞』の一節から、現代の日本の一様相について語ってみました。

何か参考になれば幸いです。

 

それでは、最後までお読み頂き、ありがとうございます。