『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

タイは良いとこ

おはようございます。

 

ツイッターではお知らせしていましたが、12月6日(正確には7日)から10日まで、タイ王国に行ってきました。

10月にもシンガポールに行ったので、今年は2回も海外へ遊びに行くことができました。

やはり、海外旅行はいいもので、景色や名所を巡るのもいいのですが、やはり現地の人々の価値観に触れるのが、何より刺激になりますね。

 

結論から言うと、タイは本当に見所がたくさんの国です。

ビーチもあるし、都会は近代的だし、仏教が栄えていて、遺跡もあって・・・云々。

ハマる人はハマるらしく、リピーターもたくさんいるとのことです。

 

 

■王様

タイ王国はその名の通り「王国」ですので「王様」がいます。

つい最近、新しい王様がご即位されました。

街中至る所に、王様の肖像がズラリと飾られています。

国民は本当に王様を大事にしています。

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王様の肖像

ただ、一方で日本と違って、タイには「不敬罪」という刑罰があります。

王様や王族に対して不敬な行為をした場合は逮捕されます。

しかも、タイの刑務所は「懲役」ではなく「懲罰」です。

不敬罪を犯した者への懲罰は他の罪人と違う罰が与えられるらしく、

午前中は刑務所内の庭に穴を掘り、午後になるとその穴を埋める・・・

という罰が延々課せられるという話を聞いたことがあります。

もし日本に不敬罪があったら庭がいくらあっても足りませんね。

(ちなみに吉田茂が不敬罪を導入しようとしてそれを阻止したのがGHQです)

 

 

■パタヤ

私が長く滞在していたのはパタヤという地域です。

首都のバンコクから車で約2時間くらいで着きます。

綺麗なビーチが続いています。またビーチ沿いに商店がズラリと並んでいて、

夜ははっきり言って毎日どんちゃん騒ぎというくらい賑わっています。

私が泊まったホテルも歓楽街の近くで夜中まで爆音で音楽が流れていました。

でもその代わり、朝はすごいしずかです。静まり返っています。

それがすごく気持ちよかったです。

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パタヤ

 

■仏教文化

タイは仏教の国です。あちこちに仏教施設があります。お坊さんもたくさん歩いています。子供のお坊さんもいて、みんな熱心に勉強をしている姿を目にすることができました。

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若いお坊さん

出家とはすべてを捨てて仏門に入る(お釈迦様の弟子になる)ということです。

彼らが着ているのは「糞掃衣」(ふんぞうえ)と言います。なんと死体をくるんでいた布を剥ぎ取り、それを縫い合わせて作ったのがこの服の起源です。そして「托鉢用の鉢」と虫歯にならない為の「つまようじ」この3つだけを残して後はすべて「自治体や行政」に財産などを寄付して出家するのが本来でした。ですから「教団」に寄付をするというのは本当の出家のあり方ではないのです。

いずれにしましても、タイではこうして若いうちに出家して(期間限定の出家者もいます)仏教について学ぶわけです。

日本には学校で宗教教育・宗教知識教育・宗教情操教育、いずれもなされることはありません。しかし宗教というものが、歴史・文化・習俗等の根本であることは間違いありませんし、人間が宗教から学ぶことはたくさんあるはずです。是非日本でも子供たちへの宗教的教育の導入を仏教界・キリスト教界中心に実現して欲しいと思います。では現在の神道が統一的に何か子供に教えられることがあるかと言えばそれは大いに疑問があります。というよりそれに対応できる神職がいないでしょう。但し私の提唱する「統合神道」として子供たちにお伝えできることはあります。是非将来的にお役に立ちたいと思っています。

 

■海外に行くと必ず感じる事

それは「どこへ行っても国旗がある」ということです。タイも同じです。

寺の周囲、橋の欄干、民家の塀、学校の周囲などなど

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タイの学校の様子

写真は学校の様子です。校庭では子供たちがサッカーをやっていました。

校庭の中央には国旗が翻り、校舎には王様の肖像が飾られています。

この写真ではわかりませんが、学校を囲む塀にも等間隔にズラリと国旗と王様の旗が並んでいます。

海外へ行くとなるべく学校の様子を見るようにしているのですが、国旗がない学校なんて一つもありませんでした。それどころか、国旗は学校に一本ではなく、教室に一本と言った具合です。

入学式や卒業式に国旗を掲揚するしないで大騒ぎしている国とは大違いです。

なぜ子供たちの教育の場に国旗が必要なのでしょう?

答えは簡単です。

それが「土台」だからです。

私たちはこの国=「土台」で暮らしている、所属している。という意識を「個」に根付かせるのです。

「分離」していることの役割、幸せを謳歌する一方、

「統合」することの役割、幸せを実感する

これが教育の役割です。

日本はご存知の通り、「分離」していることの役割、幸せだけが教育の中で施されます。

ですからとても簡単な言い方をすれば「根無し草」になるのです。

そして「分離」の苦しみにその人生を支配されてしまう人が出てしまうということです。

一方で、自分はなんでもできる!という勘違いをしてしまう人が生まれ、こういう人が持てはやされる現象が起こります。そして様々な理由で今、力を発揮できていない人を蔑み、己の生き方をモデルとして示すのです。しかし残念ですが、いくら「個」としての能力が高く、その知力・知性を存分に発揮できても、所詮分離した「個」です。「統合」の力に及ぶことはありません。

我が国は今そうした状況にありますが、きっと「分離の限界」に到達し、やがて「統合」へと再び向かうでしょう。その時こそ、日本は世界に先駆けて「中道の国」になるのです。

(ごめんなさい、ちょっと難しいですよね)

 

■まとめ

ということで、タイ旅行で感じたことの一部をご紹介しました。

いずれにしても、私たち人類は世界の色んな所で一生懸命に生きています。

タイで言えば王様も、物乞いも同じように一つの輝く命を持っています。

もちろん私も同じです。その命の輝きに気づき、それぞれの人生を前向きに生きましょうね。

始めて正月前に海外旅行へ行きましたが、結論としてはとてもよかったです。

忙しくなる前に良い刺激になりました。

また是非訪れたいと思います。

 

 

外つ国を おとずれ来ても変わらぬは ひかりかがやく ひとのみいのち

 

 

それではまた!