『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「分離」と「統合」

御機嫌よう。

 

この記事は従前YORISOIに投稿したものですが、一部修正し、改めてこちらにもアップいたします。

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「私は一人」

という思いを、心の中心に持っている人がいるとします。

親や家族、友人などの他者との交流が全くないという意味ではありません。

これらとはちゃんと交流しているのだ

けれども、

「私は一人」という思いがあるのです。

この良い面に着目していくと、それは「一人を楽しむ」ということになります。

誰からも干渉されることなく、自由に自分の意思で、この人生を歩み、責任を持って生きるという、喜びを「知っている」のです。

その一方、ある種の「悪い面」に着目していくと、それは「拭えない孤独」と付き合い続けることになります。

誰ともつながっていない、「私は一人」という孤独感を、その人は大なり小なり抱えて生きていくことになるのです。

少し難しい言い方になりますが、これを「分離の喜び」「分離の苦しみ」と私は言っています。

私たちは、「物理宇宙(世界)」に棲んでいます。ですのでみんな「分離」しています。それぞれが別々の人間です。

その「分離」していることを喜びと捉え、その喜びを謳歌することはとても素晴らしいことなのですが、

それと同時に、心のどこかで「分離」していることの「孤独」「恐怖」「不安」というものも持っているのです。

「あるもの」と「離れている」ことによる不安というものを持っているのです。

もちろん個人差はあります。全然感じない人もいれば、いつも意識している人もいます。

「離れていることの不安」

ということは、

「つながること」によって、軽減されます。

しかし、私たちは物理的に肉体が「分離」しています。

他者とその肉体を「つなぐ」のは、生殖活動という一時的な行為が例外的にありますが、

恒常的にその不安を取り除くことはできないのです。

ですので、人々は「心」の「つながり」を求めるのです。

その代表的なものが

「宗教」です。

ご存知の通り、英語で「宗教」は「religion(レリジョン)」です。

「ふたたび」という意味を持つ接頭辞「re」と

「結びつける」という意味を持つ「ligare」の組み合わせです。

つまり 「再び結びつける」という意味を持っています。

私たちはこの「物理宇宙(世界)」において、それぞれ「分離」しています。

それは喜びもあるが、苦しみもある。

だから、「あるもの」と私の「心」は、

離れていない、分離していない、結びついている。

ということを自覚させる術が求められたわけです。

その一つが「宗教」というわけです。

世の東西に関わらず、私たちの祖先は「本質」というものをちゃんと理解していたのです。

その「あるもの」というのが、

神・仏・菩薩、如来、ゴッド、ヤハウエ、アッラー・・・・

そして・・・・

「アーキタイプ」

というわけです。

言葉なんてなんだっていいのです。

所詮「言葉」ですから。

言葉を遥かに超えた「存在」

それが、分離している私たちの心に巣くう「分離の苦しみ」を解消してくれる「あるもの」というわけです。

さぁ

それを踏まえて考えてみると・・・・

なぜ私たちの住む日本ではこれほどまでに「キリスト教」や「イスラム教」が根付かないのでしょう?

なぜ「個人」が大事だと学校で教わるのに、これほどまでに「周りに合わせて」しまうのでしょう?

なぜ目立つ人を大勢で攻撃して足を引っ張ってしまうのでしょう?

・・・・

これは私個人の意見ですが・・・

「日本人は「分離」していることは理解しているが、同時に「統合(つながっている)」していることも知っている」

からだと思います。

その重要なカギを握っているのが、私が現在身を置く、

「神道」

だと考えています。

私はそれに気づいた時、これは「宗教」とは別のアプローチによって、

心に苦しみを抱えている日本人に、新たな気づきが起こると思ったのです。

私自身が、これに気づいた時、長い年月抱えた、様々な苦しみを手放すことができたからです。

その為には、まずは「神道」は「宗教」の中の一つである。という誤った思い込みをなくす必要があります。

これが私が取り組むことの第一歩だと思っています。

またこれはたまたま、私が「神道」の立場の人間だから、そうしようとしているだけで、

このことは、別の手段だっていくらでもできると思います。

ビジネスでも、歌でも、絵でも、スポーツでも、なんでも。

多くの人が、「私は一人ではない」、「つながっているんだ」ということを「知る」ことによって、

その人の人生がより豊かになるだろう。そう私は信じています。

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ちょっと難しいんですけど、この分離と統合を理解することによって、色々な気づきと出会えるはずです。

私の場合は、色々な心の勉強をしていく中で、結構突然…

 

「同じである事の喜びを知るためにバラバラである事を体験しに生まれてきたのだ」

 

という気づきを得ました。この気づきが色々な物事を捉える上で役立っています。

 

是非よければ今回の投稿を何度かお読みになってみてください。

 

それでは、

今日はここまで。