『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

神道は宗教か?宗教ではないのか?

こんにちは。

 

今日は大嘗祭です。

今日の夜から明日の未明にかけて、天皇陛下が天照大御神はじめ天神地祇を祀り、新しい時代が豊かな時代であることを祈念される、本当に大切な大切なお祭りです。

 

大嘗祭は神道という一つの宗教に基づいたものだからやるべきではない。みたいなことをおっしゃる方が一部いますよね。

そのような声もあることも受け止めて少し考えみたいと思います。

 

 

 

私は神道とは日本人に備わった「感覚」だと思っています。

 

その感覚に基づいて日本人は様々な「判断」を下し「行動」を取るわけです。

その最も特徴的なものが、「それぞれの中から良い物を探し出す」というものなのです。

 

そして、神道の感覚が備わっている私たち日本人は、「ありがたいものを祀る」という判断と行動を取ります。

 

それが「祭祀」・「儀礼」というものに発展していきます。

私たちが普段「神道」と呼んでいるのは、この「祭祀」・「儀礼」の部分を指して言っています。

ですので繰り返しますが、これは神道の中のごく一部分であるということを理解する必要があると思います。

 

 

敢えてこの神道の「祭祀」・「儀礼」に名前を付けるとすれば、

もっと正確に言えば、戦後の神社における「祭祀」・「儀礼」に名前を付けるとすれば、それは「宗教神道」になると思います。

戦後の神社祭祀というのは「宗教」にカテゴライズされています。

「神道は宗教か?宗教ではないのか?」と神社の神職が言うことがありますが、私としては、「戦後の神社における祭祀・儀礼は宗教です」とキッパリ言うようにしています。

なぜなら「宗教法人」として活動をしているからです。

宗教法人として活動しておきながら「神道は宗教か?宗教ではないのか?」なんて言えるわけないからです。

これが好むと好まざるに関係なく、戦後の神社のおける祭祀・儀礼は宗教であることに間違いないのです。

というより、自分たち(戦後すぐの神職たち)が宗教として歩むことを選択し、それを現在もそのままにしているのです。

 

しかし、これはあくまでも「神社のおける祭祀・儀礼」の事を指して言っています。

 

「宮中における祭祀・儀礼」は別の話です。

確かに皇居には賢所・皇霊殿・神殿という宮中三殿という神々を祀る施設があります。

しかしいずれも、私たちが良く目にする神社とは異なります。

何が一番違うかと言えばそれは「宗教法人格を有していない」ということです。

 

今日の大嘗宮も同じですが、神道の感覚に基づいて作られた神を祀る施設ではありますが、「宗教法人」の施設ではありません。

 

ややこしい言い方になってしまいますが、

宗教施設ではなく、神道施設である。ということです。

つまり

神社の祭祀・儀礼は宗教行為ですが、宮中の祭祀・儀礼は神道行為というわけです。

 

ですから、天皇(皇室)という日本の国体の一要素が、これまた日本の国体の一要素(正確には日本人の一部)である神道という方法を用いて儀礼を行っているのであり、我が国どころか世界中に存在する宗教の中から、一つを選んでいるわけではない。というのが私の持論なわけです。(まぁいろいろ反論はあるでしょうが・・・)

現に明治以前は宮中の様々な儀礼の中には、唐風のものや仏教の信仰に基づいたも数多くあったはずです。それはその時代において、それが相応しいと判断したからですが、やはりこの判断も「それぞれの中から良い物を探し出す」という「神道覚」に基づいていることを忘れてはいけないと思います。

 

が・・・・・

ややこしいですよね・・・・

なぜこんなにややこしいのか・・・・

 

それはひとえに、戦後の神社の祭祀・儀礼を「宗教」として位置づけいるからだと思います。

神社祭祀と宮中祭祀は違う??こっちが宗教で、あっちは宗教ではない??

なんて言われたって、一般の人にはなかなか理解できることではありません。

同じ神道の祭祀に見えるのは当然のことだと思います。

 

敗戦後、GHQがまた日本を占領していた時、日本の神道は存続の危機を迎えていました。

そこで取った「苦肉の策」が・・・

「神道を宗教にしよう」

というものでした。そして作られたのが、神社本庁や神社庁、そして各神社の宗教法人化でした。

 

しかしよ~く考えてもらいたいのですが・・・

 

もうGHQっていますか???

マッカーサー元帥っていますか???

いませんよね??

 

そうなんです、現在の神社って、まさに「戦後体制」そのものなのです。

敗戦によって否定された日本の古い価値観、日本の伝統などの大切さなどを、この戦後の世の中にあっても主張する立場の私たち神社神道の人間(神職)とその組織って、実は戦後体制の最たるものというわけです。

 

憲法改正を目指して結党した自由民主党が長年政権を握っているのに、憲法の一字一句変えられないのに似てませんか?

拉致被害者を今年こそは取り返すぞ!と言って全然進展していないのに似ていませんか?

竹島を不法占拠されているのに、ほとんど何も手を打っていないのに似ていませんか?

北方四島どころか、全千島列島・南樺太の帰属が曖昧なのに似ていませんか?

・・・・。

 

これって・・・

「今のままでいい」

 

と思っているからと言われても仕方ないですよね?

 

私は神主ですので、神道の事を特に取り上げて語るしかありませんが、

これから先も、御代替わりの大嘗祭やその他皇室の神道儀礼に対して政教分離に反すると指摘されたり、或いは神宮(いわゆる伊勢神宮)や靖国神社が一宗教法人である問題など、神道と日本というのは、切っても切れない関係であることなど、神職であればわかるはずです。

しかし、現状「宗教」と自分たちで決めているから、これらをその都度指摘されてしまうのは当然じゃないでしょうか??

 

ですから、私は他の宗教(仏教やキリスト教はじめすべての宗教)の為にも、もちろん現在の神社・宮中の祭祀・儀礼のためにも、神道と宗教は切り分ける必要があると述べているわけです。

つまり「宗教法人」ではなく、「非営利型一般社団法人」として活動をするべきだと思っています。できれば「神道法人」という新たな法人格を作り、ある程度国からの補助などが得られるようになるのが理想ですが、いきなりそうなるのは無理でしょうから、その前段階として、「非営利型一般社団法人〇〇神社」として、歩みを新たにするべきだと私は考えています。

 

しかし現状「今のままでいい」という「空気」・・・

いや、そこまで考えることもなく、ただ「現状維持」を望んでいるようにしか見えないわけです。

「現状維持」というのは実はないのです。

「現状維持」というのは「衰退」なのです。

日本がこれから先も、ずっと日本であり続けるためには、神道の存在が極めて重要になります。

その為にも、私たち神主がやるべきことは山のようにあるはずです。

実はこのブログも、本当にささやかではありますが、こうした問題意識を持っているからこそ、設立したというのもあるのです。

 

それぞれができることを少しづつやって、日本を良くしていきましょうね。

今日は天皇陛下にとっても、とても大切なお役目を果たされる日です。

そんな素晴らしい日に、改めて神道についてみなさんと一緒に考えてみました。

 

大嘗祭がつつがなく斎行されますことをお祈り申し上げます。

 

それでは、また。