『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

日本人の皆様へ

 

今から75年前

日本は戦争に「負けました」

私たちの先輩たちは、命を的にして死力を尽くしましたが「負けました」

戦争が「終わった」のではなく、戦争に「負けた」のです。

 

そしてその後、GHQがやってきました。

彼らは「進駐軍」ではありません。「占領軍」です。

そしてこの国は有史以来、初めて他国に「占領」されることになったのです。

 

軍隊が解体されました。財閥が解体されました。憲法が改正されました。

学校の制度が変わりました。その他あらゆるルールが変更になりました。

国旗を掲揚してはいけなくなりました。使ってはいけない言葉がたくさん増えました。

それまでの指導者が処刑されたり、公職追放となりました。

たくさんの本が燃やされました。忠臣蔵さえも見てはいけなくなりました。

これらはすべてGHQの指示によって行われ、

国民たちには主に以下の2つの方法によって、伝えられていきました。

それが「学校教育」と「メディア」です。

 

今述べた通り、この占領期間中、日本はGHQの指示の下、様々な変革がありました。

しかし私たちはそれを学校でほとんど習いません。まるで教えたくないかのようにです。

ただここで一つだけ、とても大切なことをお伝えいたします。

確かにGHQはこの国を占領し、国のシステムから、国民の箸のあげおろしまで目を光らせました。しかし実はこれら全てには、ある「一貫した理念」が宿っていました。

GHQはその理念に基づき、日本に指示を下していたのです。

ではその「一貫した理念」とは何か。

 

「国民の中にある「公」を取り除く」です。

 

国民という一人ひとり個人の中には「私は日本人である」という「公の意識」があります。これはこの地球上のどこの国民も持っている意識です。

アマゾンなどの密林に住む先住民は国民という意識ではなくとも、自分たちの所属する「部族」への意識を同じように持っているのです。

これは人間という社会の中で生きる生き物にとって必要不可欠の意識です。

 

そして、日本人はこの「公の意識」がとてつもなく強い民族です。

他の国とは比較にならない程強い民族です。

それはこの国の長い歴史によって私たちの祖先が培った何にも代えがたい意識です。

そしてこれこそが日本人がアメリカという国力が何倍もあるような国と真正面から闘う原動力でもありました。

だから、それを知っていたGHQは、二度とそんな国と闘いたくないから、日本人の持つ「公の意識」を徹底的に排除しようとしたのです。

 

学校教育というのは、国語算数理科社会・・・を子供たちに教える場所です。それは社会に出た時に困らないために必要だからです。

しかしそれだけではありません。

学校教育というのは、子供たちには「公の意識」を持ってもらう場所でもあるのです。

つまり「あなたは〇〇人です」ということを、しっかりと理解する場所なのです。

これは私が神主だからだとか、保守的だからとか、右翼だからだとか、日本が好きだからだとか、そういうことは一切関係ありません。

世界のどこの国においても、これが常識なのです。

「私は〇〇人である」という意識を持つことが、あらゆることの「土台」なのです。

戦争に負けたドイツもイタリヤも同じです。

しかし、この日本だけが違うのです。

なぜなら、それだけ日本人の「公の意識」の力が恐ろしいからです。

 

「公の意識」を持つことは悪い事とされました。

少しでもそうしたことを主張すると、

戦争がしたいのか!歴史修正主義者!右翼!とレッテルを貼って、言論を封鎖して行ったのです。

 

 こうして、GHQは「学校教育」と「メディア」を使って、日本人が持つ「公の意識」を排除していきました。

しかし日本の占領期間は7年で終わっています。再び世界と同じように国民が「公の意識」を持てるような教育にすればよいのに、何も変わらず現在に至っています。なぜでしょう?

それは現状に疑問を持ちながらも、平和を脅かす右翼・歴史修正主義者と罵られるのを恐れた人たちが、口を噤んだ事、相手に迎合し取り込んだことも理由として挙げれらます。

しかしそれに加えて、「官僚制度」が変わらなかったというのが大きな原因です。

占領期間にさまざまな改革がありました。しかし官僚が国を運営するという、明治初期に大久保利通が作り上げたシステムは温存されたのです。ですからそれまで軍や財閥が担ってことを、戦後は官僚が引き継ぐようになりました。当然GHQの指示に従って。

そして、日本の悪い部分の一つである「利権」をどんどん身に着けていきます(これは戦前も同じですが)

自分たちの仕事のしやすいように、自分たちに都合がいいように、自分たちに利益が廻るように、自分たちが損をしないように、自分たちのミスがバレないように・・・していきます。これは残念ですが、当たり前の事なのです。

こうした国の運営システムが変わらないので、「学校教育」も変わることがないのです。だって、日本の「学校教育」は、すべて100点を採った優秀な人間が「官僚」になることができるわけですから。

 

 

戦後の日本というのは、こうした背景を持ち現在に至っています。

それでも私は日本人の持つ「公の意識」は世界でもトップレベルだと思います。

そしてこの「公の意識」は何か事が起こった時に突如として増幅します。

 

「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」と

 

明治天皇が詠まれた御製にそのまま表れています。

そして、今この新型コロナウイルスの脅威はまさに国難です。

「ことある時」とはこの時なのです。

しかし・・・・本当に本当に残念ですが、

 

自粛を呼びかける中にもかかわらず、

離島旅行へ出かけたり、

マスクを買い占め、転売し、販売していたらそれに群がり、

他県のスポーツジムへ遠征したり、

未発生地域へ疎開したり、

悪質なデマを流したり、

休業店舗へ空き巣に入ったり・・・・

 

一部の人であることは十分承知ですが、それでも「公の意識」が欠落しているように思えてならないのです。

ムリもありません「私は日本人である」という

自分は社会を構成する一人の人間であり、その社会は多くの人々と共に作り上げている。という教育を受けていないんですから。

ですから「自分さえよければいい」と解釈する人が現れて当然なのです。

しかし、これは誤りです。間違いです。改めましょう。

 

 

私たち日本人は、今こそ「私は日本人である」という「公の意識」を発揮しましょう。

そして罰則を設けたり、強制がない緊急事態宣言にもかかわらず、

なぜか、日本は感染が拡大せず、混乱が起きず、社会の秩序が保たれていると、世界の七不思議と呼ばれる奇跡を起こす時がまさに今なのです。

 

できます。

必ずできます。私たちは「日本人」です。

 

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂きありがとうございます。