『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

お供えしたお酒、半分返して・・・・

ご訪問ありがとうございます。

 

 

神社で奉仕をしていて、気になる2点をご紹介し、それについて思う所をつづってみます。

 

 

■半分返して・・・

法人・会社のご祈祷での事なのですが、

「奉献酒」と言って、初穂料とは別に主に日本酒をお供えなさる場合があります。

神職はこれを受け取って、神前に供えて、ご祈祷を始めます。

そして、ご祈祷が終わると・・・

「すいません、さっきの奉献酒、半分持って帰ります。」

と言われる場合が、30件に1件くらいの割合(あくまで私の感覚)であります。

コレ・・・どう思いますか??

御祈祷というのは神様に対して「お願い事」をしに来たということです。

例えば私たちも誰かに何かお願い事やご挨拶に伺う時に「手土産」(饅頭など)を持参することがあります。

相手先と色々とお話し終えて、帰り際に「では先ほどの饅頭半分返して下さい」とは絶対に言わないハズです。

もしご祈祷が終わってみんなで御神酒を飲む予定があるなら、それ用のお酒を別に用意して、神職にはその旨を伝え、お祓いをしてもらうように致しましょう。

 

■お釣り下さい

信仰とお金の話しでも語った通り、ご祈祷に「値段」は本来ありません。但し目安として、いくらとお伝えする場合はあります。私が奉仕する神社でも、例えば個人のご祈祷であれば「5000円以上のお納めになります。」とお伝えするようになっています。

そうすると中には、お財布から10000円を取り出して「お釣り下さい」と言う方が、実は結構いらっしゃいます。

冠 成人に財布からお金を出して、お釣り下さい。って言いますか?

婚 結婚式で財布からお金を出して、お釣り下さい。って言いますか?

葬 お葬式で財布からお金を出して、お釣り下さい。って言いますか?

祭 ・・・・

【祭】とは人生の節目で神社などで行う様々な行事の事です。厄払いのご祈祷も同じです。

またどの行事にしろ、熨斗袋にお金を入れて納めるものですし、いずれも「正装」をして臨むものです。しかし神社での【祭】だけはこれがなされないのです・・・

 

 

 

と言った感じです。

なぜこのようなことが起こるのでしょう?

学校や家庭で教わらないから?

それもあるでしょう。

日本人の常識感覚が変わってきたから?

それもあるでしょう?

 

しかし一番の原因は・・・

 

「神職」にあると思います。

 

言われるがままに、御神酒を半分返す神職がいるから、そういってもいいのだと一般の方が思ってしまっているのです。

初穂料を生で受け取り、お釣りを返している神職がいるから、それが当たり前だと思われるのです。

正装をしないで、Tシャツ短パンでも昇殿参拝させている神社が山のようにあるから、それが普通だと思われているのです。

だから、一般の方々は神社に来て、ご祈祷という「サービス」を、お金を「払って」受けているのだ。という感覚を持ってしまうのです。

そんなの誰だってそう思うはずです。

 

問題なのは「神職」なのです。

一般の方々は悪くありません。

もっと言えば、神職の養成段階で、神学・教学を学び、考える時間や機会があまりにも少ないことが問題なのです。

 

私たち戦後の神職は、大変残念ですが「自己分析」をほとんど行わず今日に至っています。その膿がこうしたところに出てしまうのです。

神社の為に、日本の為に、神職がやるべきことは山ほどあります。

そして一番初めにやるべきことは、「自分たちの問題点」をあぶり出す「自己分析」からです。

こういう話ができる神職仲間が欲しいなぁ~

 

 

それでは今日はここまで、

最後までお読みいただきありがとうございます。