『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

浮世の月に かかる雲なし

こんにちは。

 

今日は2つ続けての投稿です。

 

今日12月14日は「赤穂浪士の討ち入りの日」です。

元禄15年(1703年)の今日、大石内蔵助以下赤穂浪士47士が、両国の吉良邸に討ち入り、見事、主君浅野内匠頭の仇打ちに成功した日です。

どんなにお若い方でも、「忠臣蔵」という名前くらいは聞いたことあると思います。

それだけこのお話は、日本人にとってなじみ深いものなのです。

 

私はもちろんこの話にでてくるそれぞれの義士たちの話も好きなのですが・・・

実はそれと同じくらい好きなシーンが以下です。

 

吉良上野介の首級を見事取り、赤穂浪士たちは隊列を組んで高輪の泉岳寺を目指して行進していきます。

手傷を負い、足を引きずる義士、仲間に肩を借りながら歩を進める義士もいます。

そんな彼らに対して、江戸の庶民はどういう態度を見せたかというと・・・

 

「拍手喝采」を送ったのです。

 

「サムライ」としての忠義を貫いた彼らを、「庶民」が称えたのです。

これはどういうことかと言うと・・・(以下が一番言いたいコトです)

 

「良いと思っていることが同じ」

 

ということです。

確かに我が国は、江戸時代より以前は身分社会でした。その中の支配階層が武士と呼ばれた人々で、わずか7パーセントしかいませんでした。残りのほとんどが、町人・商人・百姓などと呼ばれる被支配階層です。

 

ですから、家庭環境、経済状況、教育環境などそれぞれ異なります。

しかし、にも関わらず、

江戸の庶民たちは、忠義を貫いたサムライたち褒めたたえたということは、例え自分が武士ではなくても「武士としての生き方が良い」と認識しているからこそ、彼らを称賛することができたということです。

 

まさにこれが、「武士道」というものが、武士だけのものではなく、日本人全体が共有していた思想であることの証左なのです。

支配階層(武士)だけの価値観、被支配階層(町人や百姓)だけの価値観と言った、階層によって、それぞれの価値観が分かれていたのではなく、共通していたという点がこの国の素晴らしい部分なのです。

 

これが、やがて明治という「武士の時代」が終わったにも関わらず・・・

明らかに日本軍は武士道の精神を良くも悪くも継承しながら、対外戦争を戦ったのです。

そして、赤穂浪士の討ち入りから、300年以上経ったこの令和の時代であっても、日本人がこの「忠臣蔵」の名前を知っており、ドラマや歴史番組でこのお話に親しむ人がいるわけです。

 

まさにこれも、時代が違っても、日本人として

 

「良いと思っていることが同じ」という現れだと私は思うのです。

 

戦後日本を占領したGHQは、この忠臣蔵を見たり、演じたりすることを禁止しました。

本当に彼らは日本人の精神の神髄というものをよくわかっていたのです。

「主君に忠義を尽くす」という日本人が共通して持っている、それを「良い」とする価値観が、とてつもない力を発揮し、自分たち(ここで言えばアメリカ)を脅かすことをよく理解していたのです。

だからこれを禁止したわけです。分かりやすいと言えば分かりやすいですね。

 

これが私なりの言葉で言えば、

「統合の力」というわけです。

 

今日はちょうど討ち入りの日でしたので、そこから垣間見える日本人の姿を語ってみました。

それではまた!