『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

子供に勉強してもらう方法

おはようございます。

 

 

さて、今日は子供を持つ、お父さんやお母さんに向けたお話です。

 

子供が学齢に達する、つまり小学生になると、

我が子にちゃんと勉強して欲しいと思うのは親として自然な感情だと思います。

 

「ちゃんと宿題やったの!?」「明日の予習はたったの!?」

と言いたくなりますし、他の子供が塾に通っていると聞けば、我が子も塾に通わせようと思うものです。

 

それはとても自然なことですし、悪いことでもありません。

 

しかし、子供に勉強するよう促したり、塾へ通わせたりする前に、もっと子供に勉強してもらう方法があります。むしろこちらを先にするべきです。

・・・・・お分かりですか??それが・・・・

 

 

 

 

「親が勉強すること」です。

 

 

 

 

 

私たち人間は(多分人間だけではないと思いますが)、「真似をする生き物」です。

言葉も、行動も、思考も・・・全部誰かの真似をして生きています。

 

オリジナルと呼んでいるものは、何かと何かを足したものがほとんどで、まったく何もない所から、何かを生み出すというのは、そうそうないのです。

 

さっき生まれた赤ちゃんだろうが、トランプ大統領だろうが、

犯罪者だろうが、ローマ教皇だろうが、

ホームレスだろうが、マークザッカーバーグだろうが・・・

 

みんな誰かの真似をしながら、「今」を生きています。

これは例外がありません。

親がいなければ、親の代わりとなっている養育者らの真似をして生きています。

そのようにして、私たち人類は生命を維持し、種を保存してきたのです。

 

日本で言えば、伊邪那岐命・伊邪那美命の男女の神だって、

オナガドリが尾っぽをふりながら、交尾をしている様子を見て、自分たちも同じようにして子孫を増やすことにしたのです。

日本は神だって、何かの真似をしたわけです。

 

そのことを思えば、子供をお持ちの方はよくわかると思いますが、

お子さんは親の真似をたくさんしませんでしたか?

言葉だけでなく、行動やあらゆることを、親の真似をしたはずです。

 

ということは・・・・

仕事から帰ってきて、お風呂に入って、酒を飲んで、ダラダラして寝る父親を真似るのです。

家事をして、お菓子をバリバリ食べて、テレビを観ながら寝っ転がっている母親を真似るのです。

(なんで大人は勉強しなくていいの?という子供の疑問はこの親の姿を見て生じます。)

 

ですから・・・

仕事から帰ってきて、1時間でも、30分でも本を読んだり、調べものをする姿を真似るのです。

家事と並行して、自分の興味のある学問に向き合い、少しでも知識を増やそうとする姿を真似るのです。

(大人になったら好きな勉強ができるというメッセージをここで伝えることができます)

 

何しろ、机に向かって、本やパソコンを開いて知識を深めようとしている親の姿を見せることが、子供にとって何よりも勉強に対する「親和性」を高めるということです。

 

ご納得いただけましたでしょうか??

 

是非とも、お子さんをお持ちの方は、ご自身の興味のある分野、なんでもOKです。

まずはその本などを買ってきて、勉強を始めてみて下さい。

お子さんは必ず、その姿を真似るはずです。

 

 

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これは「勉強」に限ったことではありません。

すべてにおいて言うコトができます。

ですから、親は子供に対して「見せる」という姿勢をいつも示して欲しいのです。

 

昨今、「友達のような家族」が増えています。

親と子供が平等の立場、或いは逆転しているような現象が見受けれます。

こうなるとどうなるかというと「一緒に」という思いが先に立ちます。

つまり、親と子供が一緒に何かをするようになるのです。

しかし当たり前ですが、親と子供が同じをことをすることはできません。

厳しい言い方をしますが、

 

「親と子供は不平等です。」

 

そうでなければ、世の中は成り立たないのです。

もし平等であれば、産まれた時点で「選挙権」や「被選挙権」を有していなければなりません。

しかしそうではありませんね。

大人という存在が、先を歩み、子供はその後をついていくものです。

そして、大人の姿を十分観察した後に、その子供が大人になり、今度は自分たちの判断で歩を進めていくものです。(ということは、逆に年寄りは若者の歩みを邪魔してはいけないのです)

 

これが・・・・はっきりと言います・・・

 

「正しい人類の進歩の仕方です」

 

大人と子供が平等で、お互いが話し合って、この先どうするかを決めるのは、国で言えば亡国まっしぐら、企業で言えば倒産まっぐらですというわけです。

判断脳力に乏しい人間と話し合って、その意見も意見として取り入れるわけですから、全体としてレベルや質、パフォーマンスが下がるのは当然のコトです。

 

子供の「意見」と子供の「見方」というのは全然違います。あくまでも大人は子供の話を聞き、大人がその立場に立って、つまり「見方」になって、物事を判断する必要があるのです。決して子供の存在を無視せよとは言っていません。

 

実はこうした親子関係について、私は特別何か勉強したわけではありません。

日々の神明奉仕の中からひしと感じることなのです。

 

一般の人々は、普段神社の作法やルールなんて知りません。それが当たり前です。

ですから人生の節目で神社を訪れ、参拝や祈願をする際、子供を持つ親はすべてが初めてのこと尽くしなのです。

 

神主は一つひとつ神社での取るべき行動をお伝えします。

しかしそれを子供と「一緒に」やろうとするのです。

しかし、当然ですが、子供は同じようにはできません。

ですから、親が手を添えたり、口で改めて説明したりするという事態が生じます。

大変残念ですが、実はこれでは子供には正確な情報は伝わらないのです。

 

神主からの説明を受けながら、作法を行っている姿を「見せる」だけで十分なのです。

 

子供はそれを後ろからちゃんと見ています。

何年経っても忘れません。

そして、将来その親の姿を思い出し、またそれを真似るのです。

一緒にやってしまっては、親の姿を「見る」機会を完全に失ってしまうのです。

 

どうか、お子さんをお持ちの方は、

あなた様の姿を見せてあげて下さい。

子供はそれをちゃんと見て、必ず真似ます。

あなたがあなたの親の姿を良くも悪くも真似ていると同じなのです。

お願いします。

 

 

それでは、今日はここまで。

ありがとうございます。