『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「お前はどう思うんだ!」

おはようございます。

 

 

今日はちょっと私事になっちゃうかも知れませんが、お許し下さい。

 

実は大学を卒業した後も、ずっと学問を続けていて、

いわゆる大学院まで進んだのですが、

結構「ある日突然系」で、ブツンっとそれまでの研究を止めてしまったのです。

ですから、私は神道学修士ですが、博士は単位を取得して退学した形になります。

 

ではなぜ、ブツンと止めてしまったのかと言うと、

もちろん、そこまでやる気がなかったし、学力がなかったというのが事実だと思います。神社に奉仕しながら研究をしていたので、時間もなかったというのもありますが、やはりこれも言い訳でしかなくて、やはりやる気と情熱がそこまでなかった。というのが実際の所だと思います。

しかし、それと同じくらいに、私の筆をおかせる理由というのがあって、

それが・・・

 

「それって、(学者などの名前)が、(その学者の書いた著書など)で言っているよね」

と周りの研究者たちに言われるのが、頭にきてしょうがなかったのです。

 

どういうことかと言うと、例えば何かの研究をしている時に、ある説が浮上するとします。

研究者というのは、それまでの先行研究を「徹底的」に洗い出し、その研究に関する知識を頭にいれながら、その説を押したり、否定したり、するのが「仕事」なわけです。

 

「つーかそれ!AIが一番得意なことだから!!!」と腹の中でいつも思っていました。

 

私だってもちろん、関連する先行研究を訪ねることもしますが、一番重要なのは、「自分の目で見て、自分の頭で考える」事だと思っています。

 

ですから、あーでもない、こーでもないと、とにかく私の場合は考えるのです。

あの本にあぁ書いてある、こう書いてある。なんてはっきり言って私としてはどうでもいいのです。

もっと言えば、同じことだってあるだろうよ!真理は一つなんだから!と思ってしまうわけです。

繰り返しますが、先行研究の洗い出しというのは、AIにお任せすればいいのです。

それより何より「お前はどう思うんだ!」

という方が、これからの時代、何よりも大事なことであって、

 

私が色々頭をひねって、それぞれの立場になって、導き出した答えに対して、

「それ、誰々が、何々で言っているよ」

 

と得意になって言われるのが、無性に腹が立って仕方なかった。というわけです。

まぁだから私は研究者には向いていなかったんだと思いますし、

そもそも・・・

先生や先輩から「こうしなさい」と言われたことを、一切!無視し続けながら、研究をしてきた人間ですので、彼らが長年築きあげた世界の中で、私が評価されるようなことなんてあるはずもないのです(アハハ)

 

しかし、これで良かったと思っています。

例えばこれまでのブログを読んでいただければわかると思いますが、

はっきり言って、どこの神社の神主だって、言わないようなことばかり書いているはずです。

それに対してものすごい自信があります。

自分の意見が正しい!という話ではなく、ここまではっきりと語れることに自信があるということです。

もちろん他人の意見だって参考にすることはあります。しかしやはりこれも私の研究のやり方と同じように、「実体験に基づいて、自分の頭で考えた事」ばかりを発信していますし、これからも当然そうしていきます。

ですから、物事を一つひとつ深く考察していかなきゃいけない分、歩みも遅いということです。そうじゃなきゃ、他人に自分の思いなんて、伝わらないと思うのです。

 

今日はとーっても不甲斐ない仕事(他人が書いた記事を要約して、別の原稿として提出する)をすることになって、自分の頭で考えない事が良しとされる状況と出くわし、無性に腹が立ったので、こんな記事を書いてみました。

 

自分の頭で考えよう、私たちにはそれができる。自由なのだから!

 

それでは!