『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

生まれ変わりの話(第2章 ようやく身軽になって)

前回の続きになります。

こちらの記事を読む前に、まだ前の記事を読んでない方先に↓

 生まれ変わりの話(第1章 「あの勲章」)

をお読みください。

 

 

骨董品(軍隊物)集めが趣味という、明らかに変わった趣味を持つ中学生の私は、

既にこの頃には「神職」になりたいという希望を持っていました。

そして、色々あって高校を卒業し、神職の資格が取れる大学へと進みました。

勉学も、近現代の神道、そして神道と「死」について強い興味があり、

私なりにこうしたテーマに取り組んできました。

大学院へと進んで、さらに学問を深めることにしたのですが、

その大学院一年生の「新入生歓迎会」の時にこんな話になりました。

 

先輩から、今後どんなテーマを学問の中心に据えるのか?

みたいなことを問われ、新入生がそれぞれ答えて行きました。

私は余りハッキリは覚えていないのですが、いずれにせよ「死」というものと深く向き合ってみたいというようなことを答えました。

そして、私の話が色んな所へ飛び火して、理想的な死の迎え方みたいな話をそれぞれするようになったのです。(大学院生って変でしょ・・・)

 

そこで、私は「戦死」が一番理想です。と答えました。

何かの為にこの命を捧げること程、素晴らしいことはない。

と当時の私は心から信じていたからです。

それを聞いていた周りの人たちも、具体的にどんな感じで??

みたいに聞いてくるものなので、私もちょっと演技がかって、

 

もう、食料も弾薬も尽きて、数人で敵陣地めがけて突撃して行って、敵の機銃掃射を浴びる中・・・

 

「中隊長殿~!!」

 

って叫んで絶命する感じかなぁ。と答えました。

周りのみんなも、私の話を聞きながら「ドラマ見たいだなぁ~」とか言いながら笑っていました。

当時の私は、幼少の頃からの心の苦しみを「死」というものだけが、救ってくれると感じていたのです。

どんな時でも、頭の中は「死ぬことばかり」でした。

だから自然と学問のテーマも「死」と関係することを選んだし、普段の会話の中でも、常に「死」やそれを連想させることばかりが出てきていたのです。

 

そして、私は大学院3年目の時に、今奉職している神社へと奉職します。

同時に25年住んだ実家を離れ、東京へ独り暮らしを始め、そして、東京で新たな友達を作っていきます。

 

神社でのご奉仕、大学院の研究、地元の友達、東京で作った友達、大学生時代のサークルの仲間、当時付き合っていた恋人・・・・

人から嫌われたくない(という恐怖)を抱えていた私は、仕事や勉強に加えて、遊びも全てに関わっていなと不安でした。

そして、他人からもっと認められたい、褒められたいという欲求は、さらに多くの交友関係を増やすことによって、得られると思っていたのです(もちろんその時はそうとは気づいていませんが)

 

そして、遂にパンクしました。

それが、33歳の年でした。

私はほぼ誰とも接触しないようになりました。

毎日のように飲みにいって友達と会い、休みの日もワイワイみんなで遊びに行っていたような人間が、急に誰とも会わなくなったのです。

 

私は本当に心の底から「身軽になった」のです。

 

そして、仕事と家の往復の日々で、私は「私という人物を私自身が演じてる事」に気が付きました。

変な聞こえ方になりますが、私はこの時、「私には心があるんだ」という不思議な感覚を持ちました。

私が人間の心、自分の心に興味を持つようになったのはまさにこの時だったのです。

 

そうした中、ある女性と急速にお近づきになりました。

60歳前後の女性で、とてもパワーのある女性でした。

彼女のお父様という方が、私の奉仕している神社の近くに若い頃住んでいて、

神社の話をよくされるそうです。もう高齢で神社に参拝に来れないから、代わって彼女がお参りに来ていたという訳です。

そして、そのお父様というのも、戦争中兵役に就いておられて、よくその話を私に聞かせてくれました。

そして、そのお父様は「軍隊手帳」を未だにお持ちだったのです。

この手帳は兵隊はみんな持っていて、自分がどこの部隊に配属され、どこへ派遣され、どういう戦闘に参加したか。と言ったことを細かく記載するための物です。

 

私は実は「翻刻」(ほんこく)と言って、手書きで書かれているものを、パソコンへテキスト入力するのが、大の得意なのです。むしろこれを仕事にしたいくらい大好きな作業なのです。

それを聞いた彼女が、そのお父様の「軍隊手帳」を私に渡し、

なんとか翻刻して欲しいと言ってきました。

私はお安い御用という訳で、翻刻に取り組みました。

そして、彼女にお父様のもっと詳しい行動記録をお伝えしようと思い、

休みの日に関係資料が残されている、

靖国神社の「偕行文庫」という図書館へ向かったのです。

 

 

 

今回はここまでにします。

また次をご覧ください。